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幸せ=不幸せ
2016年08月11日 09:07テレビのある番組を観ていてふと「満腹=幸せ」から連想した事。
摂食の場合はそれでいいのでしょうね、腹八分目でも満腹でも人それぞれなのですから。
でもこれ、摂食は置いといて「満たされ感=幸せ」なのかと考えると、なにもかも満たされて幸せを感じてその幸せに浸り切って慣れてしまうと「幸せ=不幸せ」みたいに感じてしまう場合もあるのか、どうなのか。
満たされている満足していると感じて、幸せを実感して。
そうするとそれは何も不足していない状態という事なのでしょうから、何も求める必要がない訳で、そこでは欲望が排除される。
欲望がないという事は、敢えて自ら行動を起こす必要もなくて、そうなると特にやる事もなくて、退屈する、ただただまったりし続ける、的なイメージにもつながるような。
そして、なぜ自分は退屈しているのだろうかという事に想いが及んだ時に、自分は満たされて満足してしまったのだ、という結論に達して。
なにも欲望する事がないという事は、もしかして退屈な事で、こんなふうに退屈している自分って、不幸せ?
実際に経験してみないと分からない事ですが、想像するにこんなような流れになるのでしょうか。
欲望・野心・充実感って生きている実感にもつながったりしますしね。
少し見方を変えると、手が届くような幸せに囲まれてしまっているように感じる時や、その幸せを手に取ることを迫られているように感じる時、不安に襲われる、という見方も出来るのだと思います。
手を伸ばしさえすればいいのですが、もし実際に手に取ってしまったら自分は満足を得てしまって、そうするともう何も求めるものがなくなってしまって、今の自分ではいられなくなるのでは・・・・・満たされる事に対する恐怖や、満たされる事を拒絶する感覚、欲望を排除しなくてはならないようにも思える不安、という事なのかなとも思いますが、恋愛においても時々耳にする話でもあります。
幸せになれる事が予測できる中で、その場を立ち去る、といった行動もそのうちの一つに数え上げてもいいでしょうか。
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