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神奈川県藤沢市城南 東海道線沿線のカウンセリングルーム。辻堂駅より国道一号線方面へ徒歩12分。10:30~21:00、年中無休。
幸運を・・・・・・。
2018年09月09日 20:31全ては偶然として自分の元へ到来する、その偶然が自分にとって有効だと判断して手に取った時、それが自分に到来したことは必然であったと思い込める、特に、自分にポジティブな変化が生じた場合。
あらかじめ自分の元へ到来するように予定されているものなどはない、もしそのようなものがあるのだとすれば、それが到来するまで何もしないでただ時間を浪費しながら待っている事も可能という事にもなってしまう。
何かが到来するというより、本来は全ては自分の傍をすり抜けてゆくだけ、そのすり抜けてゆくものに可能性を感じて、敏感に察知して、僕等は手に取る。
自分の元へ到来するようにあらかじめ、予定されたものというのがもしあるのだとすれば、そこで浮上してくるのは運命という言葉、予定されたものを手に取り運命に従う自分、あらかじめ全てが決まってしまっている自分。
もし僕らがあらかじめ運命というものに規定されているのだとしたら、自由とは何なのでしょうか、自由というのはどこへ行ってしまうのでしょうか・・・・・・・・・・・。
必然を認める事は運命を認める事、あらかじめ決まっているのならそこに選択の自由は存在しないという事になってしまう、だから、全ては偶然、その偶然を見逃さなければいいだけ。
その為にある言葉が「幸運を・・・・・」なのかな、とか思います。
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