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強迫性

2016年01月15日 09:20

暇さえあれば、というか何か考えている時でも、会話中でも、意識して気を付けていないと、腰・腹部・足・首・頭、グリグリやってしまいます。
たぶん、マッサージとか整体とか、自分ではそんなつもりでやっているのか、もしくは自分の身体に刺激を与え続ける事で、自分の思考と身体は一体であるという確認をし続けているのか。
とにかく強迫的なまでに・・・、一般的には癖という事にもなるのかな。
身体に関わる癖って言うのは、多くの人にあるのかもしれません、そこには、自分が自分であるという「自分の固有性を無意識に確認している」という意味合いもあるのかも。

あと、あれです、強迫性って言うのは、人間には必要な事なのかもしれないな、とも思います。
ええと、最低限の強迫性という事ですけど。
○○すべき、〇〇でなければならない、というのが強迫ではよく言われますが。
これは、症状としての強迫を語る時にも使われたりしますね。
これをすご~く薄めて、と言うか、軽くしてゆくと、その延長線上には、社会のルールは守るべきとか、規則正しい生活をするべきとか、健康管理をするべきとか、人への接し方とか礼儀とか、人が社会に参加してゆく時に最低限必要な秩序のようなものも、そこには含まれていたりもします。
そう考えた時、真面目で適応のいい人ほど、強迫的な傾向がある、と言うのも頷けるんじゃないのかなと。

人間から、一切の強迫性を排除する事って、不可能だと思うのですが、もしそれが可能だったとして、想像してみると・・・・。
食べたい時に食べ、寝たい時に寝て、面倒と感じる事は一切排除して(たとえそれが衛生に関わる事だとしても)、気の向くまま、感情のおもむくまま。
こうあるべきと言う概念がないのですから、必然的に思考や意識もぼやけてきて、自分の意識の輪郭もあやふやにも感じるようになってくるのかな。
・・・・○○すべき、が一切排除されれば、こんな感じなんじゃないでしょうか。

これ、逆に考えれば、洗濯・洗顔・身支度・起きる・食べる、こういった日々当たり前のように行っている事がすごく億劫に感じるような時と言うのは、環境に過剰に適応して、少し疲れてしまっている時なのかもしれません。

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