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心≒無意識

2017年05月21日 22:17

心、こころ、ココロ、神秘主義から遠く離れたところで、現実的な「心」というものについて想いを巡らせてみる、そうすると・・・・・・なにも浮かんでこない、心と言うのはとことん神秘に親和性のあるものなのか。
かけがえのないもの、自分にとって一番大切なもの、傷ついたり満たされたりするもの、暖かくなったり寒くなったりするもの、なのだろうけど、目に見えないもの、であればやはり神秘の文脈で語るより他にないのか。
勇気が湧いてくる場所、アツくなる場所、満たされる場所、しかし目には見えない場所、それは、無意識が一番近いのか、無意識も目に見えないし、というか意識が届かない場所だからこその無意識なのだろうし、そしてこれも心と同じようにどこにあるのかよく分からないもの。
意識の届かない場所、そこからはさまざまな言葉や感情が湧き上がってくる、それを意識が認識する、認識した瞬間にそれは無意識ではなくて意識になる、自分の意識したことになる、ひらめく場所、アイデアが湧き上がる場所。
心からも、勇気や寂しさや怒りややる気、様々なものが湧き上がってくる。
心に一番近いものというのは、無意識なのか。
無意識の形成物・・・・・夢、症状、機知、錯誤、とか言われるけれど、要はそういったものが湧き上がってくる場所であるという事。
何故そういったものが湧き上がってくるのか、今までの自分の全ての経験が、その経験に伴った感情が、投げかけられた言葉が、見聞きした言葉が知識が、収納されている場所だから、それはカオスのように、混沌と常に渦巻きながら。
僕らは今までの自分の全ての経験を日々事細かに思いだしながら生活している訳ではないですね、そんな事をしたら押し寄せる言語の洪水に耐えられない。
だから意識がスポットを当てるまでは、多くの事柄は無意識の中にひっそりと収納されている、なんらかの新たな刺激によって忘れられていた経験が呼び起されて浮上してくるという事も、勿論ある。
日中の活動時の刺激によって収納されていた言語としての経験が活性化されて、無意識が意識に夢を見させるということも当たり前としてある。
全ての自分の過去が収納されているのだとしたら、そしてそれが無意識であり、もしかしたら神秘から遠く離れたところでの心なのだとしたら、そんな中で、今の自分である事を肯定感の中で受け入れられれば、今在る自分というのは過去の経験の積み重ねの結果なのだろうし、その無意識であり心であるものを、全ての経験が収納されているものを、大切に思う事が出来るのかもしれないですね。
もしかしたらそこに、かけがえのなさすらも感じるのかもしれません。
だから、自分の過去の経験に対して、有効な意味を与える事も大切になってくるのですね。
すいません、空腹の中でバタバタと長い文章を書いてしまったので、ちゃんと説明になっていないと思いますが、まあ、こんな感じでお願いします。


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