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心を可視化する?
2017年01月09日 09:04多くの人が共有している「心」という概念・・・・・・心ってなんだろうとか、心ってどんな仕組みになっているのだろうとか・・・・・・心・・・・これは目に見えない観念的なものなのでしょうから、そして人間の複雑な思考によって近代以降に生み出されたものでしかないのでしょうから・・・・でも、あると言い切ってしまえば、それはやっぱりあるのだと思います。
そして、確かにあると受け入れた時、その心というものを可視化したい欲望に駆られる・・・・・やはり、存在するのであればちゃんと目視したいというのは当たり前の事なのでしょうし、仕組みを観察して理解や掌握をする事なしには、不安に苛まれてもしまいますから、自分のものなのに謎に包まれているという事には、僕らは多分耐えられなくて不安になるしかないのでしょうしね。
でもまあ、心を分かりやすく可視化するとか、仕組みを解明するという事は
、その先に、もし不具合が発生した時にはこのように対処すべし、みたいな単純明快さにも行きついてしまうのかな、と思います。
でも本来はそういった単純明快さや操作主義とは相容れないものですよね、心って。
・・・・・実際に目に見える身体の不調とは違って、この状態にはこの薬、この場合にはこういう手当の方法、というような形で有効な唯一のものが存在する訳でもない。
心を可視化して仕組みを解明しようとする時・・・・これは学問的な、一般論的画一的なものになるしかないのだとは思いますが。
でもこれは、悩ましいところでもあります、生育環境や元々の資質、現在の置かれている環境、そういうものに影響されるのが心なのかもしれないですし、誰一人同じものは持っていないのですから。
身体の機能というのは、みんなが同じ機能を持っているのでしょうから、不調の時の対処の仕方は分かりやすいのかもしれないですけど、一般的に言われる心というもの・・・・・心的組織を構成している要素と言うのは、自分の中に今まで入力され続けた言葉や人から差し向けられた情緒というものが元になっているのでしょうし、これは誰一人同じであるという事はないですね、環境や差し出された言葉や情緒は一人一人違います。
であれば、個人個人、人それぞれ、不調の時の対処法というのは、違って当たり前ですし、浅い不調なら画一的な対処でもいいと思うんです、表面的な事なのであれば。
不調が深ければ深いほど、心を操作するという行為、は難しくなってくる。
歴史を遡って、中世くらいまでの人は、パッと何か閃いた時って「考えを神に吹き込まれた」と認識していたなどという話も聞いた事ありますし、その辺りまでの時代の人って常に神と共に在ったのかもしれないですね、自分の中から考えが湧き上がってきたとは思えなかったのでしょうか、もし心とか無意識という概念があれば、自分が思いついた、と認識できたのでしょうか。
近代以降を生きる今、そんな事はないですよね、閃いた時というのは「えっ、オレって天才!!」となります、自明として心や無意識と共に在る。
心とか無意識とか言われるものは、今は自明ですけど、歴史を遡った時、そう古くから存在していたものでもないのでしょうか。
深い不調を感じ画一的な対処方法を試してみた時、なかなかしっくりこなかったとしても、それは当たり前の事です、誰一人として同じ心を持っている訳ではないですし、心的組織の構成要素として入力され、そして保管されている言葉や情緒というのも、人それぞれ違っていて、だからこそ同じ経験をしても感じ方は人によって違うのですしね。
自分に合致した操作方法・・・・・・というか操作する事には既に疲れ果てているでしょうから、この場合は対処方法、そうですね、ご自分にしっくりくる対処方法を探してゆけばいいです・・・・・そしてこれはオーダーメイドでしか対処できないのだとも思います。
そういえば、カウンセリングに来て頂ける方で「・・・・・心が」という言葉を発する方というのは、いらっしゃらないように思います、自分の現実と精一杯対峙している厳しい状況の中では、そういった想像的な領域には意識が及ばなくて当然なのだと思います、回を重ねて落ち着いて来れば別ですが・・・・・。
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