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心地よい侵入もしくは寝食
2018年07月24日 10:26僕は勿論のこと、コアなファンが存在する「この人は日本一歌が上手い」と思っている人からJessica Simpson の Sweet Kisses を提案されました。
歌詞ではなく、意味ではなく、それらの源に確かに存在する観念としての原因が、理性の防壁を薬指の微笑みだけで容易く開錠してしまう。
理性の奥に澱んでいる無意識に優しい波紋をそっと差し出すのは、音に変換された体温であり肌触り、音を奏でる人物そのものが侵入してくるかのようで、その意外性が非常に心地よい。
陶酔というのはこういう事を言うのかもしれませんが、特に日本語とは別の言語だからなのか、音として、観念を表現する、情緒のこもった、歌い手そのもの、人物そのものとしてのシニフィアンであるかのよう。
ああそう突き詰めれば、僕らは社会参加の条件として一つのシニフィアンになる、これはまあ基本なのだろうし。
その、提案してくれた方の歌もそうですけれど、 Sweet Kisses 何度聞いてもその度に泣きそうになる、心地よい、抗う必要の一切ない侵入、Jessica Simpson で自分の精神内界が、自分の中が満たされてしまうという快、自ら進んで乗っ取られようとする感覚。
こういう歌を聞かされると「歌詞を大切に、言葉に想いを込めて歌いました」的な物言いが無効化されてしまう。
思いを込めて歌う、その結果その歌い手は、聞き手のなかに人間そのものとして侵入してくることが出来るのか、僕は今まで一切そういう感覚になった事はなかったですけれど、だからJessica Simpsonとその人だけが僕にとっては特別。
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