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思考し続ける

2016年09月11日 09:03

昨日なぜか大昔に見たアニメ「ヤマトよ永遠に」が話題にのぼりました。
で、その永遠という言葉がちょっと引っかかっていまして・・・・・・・。
永遠というのは、死が無いという事なのか。
じゃあ、死が無いという事は、生という概念も必要無いのか?
必要ないよね、ずーっと生きてるのが当たり前で、死なないんだったら、そもそも生きるとか言わないんだろうし、そういう現象がなければ生とか死とか名付けようがないし認識しようがない、あ、生まれる、も必要ないの? なんか気が付いたらいつの間にか存在してる感じ? でもそれって自分の起源について考えが及んだ時、なんか思いっ切り不安に苛まれそうな「わしゃ、どこから来たんじゃ」とか・・・・ただ自明として在る?
生も死も無く、永遠だけがある・・・・・生も死も無いとなると、そもそも生きているというのはどういう事なのか。
ていうか生きているのかどうか、という確認みたいな事も、なんか当たり前の事過ぎて必要なくなっちゃうのこれ?
永遠なんだから生きてるなどという事は認識する必要ないんだし、なんか考える必要もないような気もするんだけど、時間の概念も必要ないのかな、じゃあ歴史や記憶や経験って意味あるのか? どうなってしまうのか。
自分は生きている、という実感や感覚というのは、高度な思考によって生み出される訳だから、要は言葉によってという事ですね。
生きていると宣言する必要がない永遠というものの中では、言葉は不要になる、もしくは邪魔になる(言葉があったら永遠について考え、思考しちゃって途方に暮れたりとか、で、途方に暮れた挙句死にたくなる、ああ、でも永遠だし、みたいな)突き詰めると話すという事は自分はここに確かに存在しています、という主張、話す事によってコミュニケートして存在を、または生きているという事を、生を確認し合う訳ですからね、根本的には言葉は生存や実存や存在を確認し合う為のもの・・・・・・・そう考えた時、生きている事を確認するための言葉が不要という事は、なにによって思考すればいいのか?
じゃあ、そうだ、思考もなくなるのかね。
思考が無い状態というのが、永遠を漂っている状態、という事?
なんか人工的な癒しの一つのあり方、みたいなイメージもなくもない。
でも、思考がなければ永遠という概念すら生まれようもない訳で・・・・。
じゃあ、その、思考が無い状態って、なに?
・・・・・・まあまあ、今書きながらフッとこんな屁理屈が頭をよぎったのですが、いろんな考え方があっていいのでしょうし、一切の価値観を否定するものでもないですしね。
朝からおかしな事を書いてしまったので、多分素っ頓狂な屁理屈になっているのだと思います。
僕は思考し続けようと思っています、多分これは自分の考える現実というものに向き合う、自分なりの唯一の方法として・・・・・誰に押し付ける訳でもなく、あくまでも個人的な考えでしかありませんが。

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