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思考の延長線上
2017年05月20日 08:23多くの事柄が、通常の思考の延長線上にある、全然異質ではないという事実。
例えばいつの頃からか、他人が素手で握ったおにぎりを食べる事が出来なくなったとして。
「神経質なんだよ」とか「はっ、意味わかんないしっ」とか「なに言っちゃってんの」とか、そんなような言葉を、異質な他者を見るような目を向けられながら、なけかけられる場合だってあるのかもしれません。
でも、よーく考えてみた時・・・・・・人が素手で握ったおにぎりを食す事と、白米を茶碗によそって、その上にちょこっと鮭フレークとか梅干しとかのせて、その上から少量の塩をパラパラふりかけ「いただきまーす」と言ってゴハンを箸で食べながら他人の手の平を舐め続ける事、どこが違うのか、勿論手洗いをして数分後の手の平という事でいいのですが。
この理屈に対して「はあ?なに言っちゃってんの・・・・」と思うという事は、突き詰めても仕方がない事であるがゆえに考えないようにする、思考を途中で切断するという事なのかもしれない、それは自身が自明としている環境に適応するための工夫。
手の平から分泌されるもの、手汗は勿論、万が一混入する事が絶対にないとも限らない皮膚の微細な欠片や組織、おにぎりを素手で握った人の身体の組織の一部が混入している可能性のあるものを食し自分の体内に取り込む、もし万が一、倒錯的にその方向で思考が突き進んで行った場合には・・・・・だったら、愛する人の握ったおにぎりを、愛する人の組織が混入している可能性のあるおにぎり食べたいとか「まあ、かわいいわねぇ、ほんと食べちゃいたいくらい」可愛いものは食べちゃいたいのか・・・・・自分の血肉にしたいのか、愛するものを体内に取り込みたいのか、それは快なのか・・・・・・となってくると、カニバリズムにも通じるような倒錯的思考として容易に飛翔していってしまう、て言うかこれは今は関係ないです、話が思いっ切り逸れてしまいました。
すいません話が逸れてしまったので戻します、あまりこちら方面に進めると一般的ではないエグイ話になってしまうのでやめておきます。
だからあれです、極端な事を書いてしまいましたが、多くの事柄は通常の思考の延長線上に存在するのであって、思考を突き進めるのか、途中でストップをかけるのか、という程度の違いでしかない場合も、多々ある。
特に強迫的になっている場合は、それに関連した大きなストレスに晒されている状態なのかもしれないですし。
スペクトラムのどこかにボーダーライン、というか幅の在るボーダーゾーンがあって、そこを突き抜けるか突き抜けないで引き返すかの違いでしかない、強いストレス下では容易に突き抜けるのかもしれないですし、これは他の事柄でも同じ、そしてそれは物事を突き詰めようとする強靭な正常心理のもとで起こり始める事だと思います。
多くの事柄を理解しようとした時、思考というのは突き抜ける事を要請されるのかもしれないです、たぶん・・・・・きっと要請されるのだと思います、そうしなければ共有できない想いというのは確実にありますし、突き抜けてしまう事というのは強いストレス下では当たり前の事。
カニバリズムは話が逸れただけなのでここでは関係ないです、愛の対象をどのように(倒錯的に?)扱うのか・・・・・・って、ここではほんと関係ないです、でも実際現実的には、つい甘噛みとかしちゃうというのもあるのかもしれないですし、かじるとか思いっ切り吸うとかもあるのかな、そういう時は何を思いながら心的痙攣を伴った高揚を感覚しているでしょうか・・・・・すいません、やっぱりやめときます、また今度書ける範囲で書こうと思います。
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