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思考の自由
2018年01月05日 09:55行動が把握可能な、防犯カメラとか監視カメラとか、あとは個人個人に番号をふって、その個人をデータとして管理するとか。
そんな中で自由というのはどこにあるのか、精神と身体で成り立っている僕ら、身体はデータとして、これは行動や嗜好や購入履歴とか納税とか収入、家族構成・・・・・・・もっともっと、なにからなにまで。
身体的にはそうやって管理されるとして、そしてそれが安全にもつながるとして、精神というのは、精神、これは思考という事でもいいと思うのですが。
身体は管理される、その時思考はどうなるのか、思考の自由というのは。
思考の自由、自由に思考するためには、そのベースとなる知識は必要。
偉人の伝記とか、よく子供の頃読まされましたけど、貧しさの中でも不屈の精神で勉学に励んだ、だから知識を求め続けた、そんなような人が大人になって立身出世、偉い人になる・・・・・・・みたいな話はいくつかあります。
でもまあこれも、当然のように生存バイアスが働いているのでしょうけれど、だから1.000人の貧しい子供が勉学に励み知識を得て、その中でただ一人だけ大成功を収める、その時、不遇に終わった999人には決してスポットはあてない、というか失敗例はない事にしてしまう。
そして唯一の成功者である一人を美しく装飾し、一生懸命勉強すればこの偉人のように大成功を収めることが出来る、という物語りがスタンダードとなり、社会に流通する。
これはそう、今の世の中誰だって分かっている事ですよね、努力は絶対に報われるとは限らない、という事実をもう一歩推し進めて、過程こそ大切、そこで何を得たかが大切、全てに意味がある、経験によって自分が豊かになる、しかしそう思えるようになるまでもかなり葛藤はあるのですが、だからそうですね敢えて1.000分の1の確率にかける必要もなかったりして、本当にやりたい事とかも言われますしね、同じ方向を向く必要はない。
ていうか話が思いっ切り逸れました、管理監視が進む社会の中でも、思考の自由は確保する事が出来る、勿論、反社会的な文脈は排除してという事ですけれど。
自由に思考するにはそのベースとなる知識が必要、逆に言えば思考の自由を奪われない為には知識というのは不可欠、独自の知がない時、不和雷同、空気の中で踊る、洗脳、暗示、マインドコントロール、そういった事につながってしまう危険性もあるのでしょうから、あとは学校教育というのはどうなのかな、僕はこの辺りはあまり詳しくはないのですが、入力し続ける場である事は確か、主体性や固有性も言われますが、それはそうなっていないからこそ言われる訳で、もしそうなっていればそれは自明であり、自明は誰も口にしなくても当たり前だからこそ自明なのですしね。
社会を生きるには、思考を停止するか、思考を活性化させるか、どちらかなのでしょう、中途半端はよくない。
自由は思考を活性化させる中に存在する、そしてそれをいつか具現化してゆけばいい。
あと、絶望しない為にも思考は活性化させた方がいいと思うのですけれど。
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