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想いはいくつ?
2015年01月02日 09:09ちょっと、削除部分が多くなってしまって、変な文章なんですが。
なんというか、精神的内界に対する洞察が深まれば、深まるほどに。
想いは一つではなくて、富士山のすそ野のように、いくらでも、末広がりに、広がっていくといったように感じる事があります。
自分の置かれている環境に適応するためには。
自分がどうしたいのか、周囲からの要望は何かと考えて、いくつかの想いの中から、最善と思われるものを選択する。
という事が普通なんでしょうけど。
これって、環境に適応する為の、理性による選択という事になるんでしょうか。
通常、理性により選択をし、その事に対して納得できて、疑問を抱かないというのは、自分の視界に入っている、氷山の一角のような所だけの想いから、環境に適応するのに、最善と思われるものを、選択する。
という事なのかもしれません。
もしくは、環境と自分の精神の深い部分とが、ぴったり合致しているといった、すごく幸せなことなのかなと。
逆に、洞察が深まっている人が、何かを諦めて、こういった選択をせざるを得ない場合。
一旦は自分を納得させて、唯一選択したものを、目指して頑張るんでしょうけど。
精神の奥の方にまで、洞察が及んでいる人にしてみると、なんとか自分を納得させて、頑張ろうとするんだけど、自分の本質の部分が、何となく他の事を考えているように、感じてしまう時もあって。
仕事の事や、どういう自分でありたいか、みたいな事もそうですし。
日常のコミニュケーションの中でのさまざまな選択でも、そういう事って、あるのかなと思います。
そういった人が、想いを口にしなければならない時、結構苦労するんじゃないでしょうか。
こうも思うけど、ああも思う、でもあっちも捨てがたいし、それも間違いじゃないから、やってみたい気がしないといったら、嘘になるし・・・。
こういう事って、通常の人間関係の中では、ちょっと口に出しづらいですよね。
でも、精神の奥の方は、末広がりになっているとすれば、こういった感覚こそ、すごく納得できるし、十分受け入れられるべきだと思うんですけど。
もっとシンプルに、問いや要望に対して、その結論として一つの想いを選択した瞬間に、別の想いが湧き上がってくる。
という、言い方でもいいと思うんですけど。
深く考えれば考えるほど、このように、悩むという事もあると思います。
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