神奈川県藤沢市城南 東海道線沿線のカウンセリングルーム。辻堂駅より国道一号線方面へ徒歩12分。10:30~21:00、年中無休。


意味

2016年09月30日 08:49

自分が出会ってきた過去の経験に、そして今の自分というものに、どんな意味があるのだろうという事に考えが及んだ時。
もしかしたら自分を取り巻いている環境と自分の間で偶然に何らかの現象が起こったというだけの事なのかもしれないという考えに至って、そしてそこに意味などは無いと考え、意味自体を振り切って現前を楽しみ続ける、生を味わい続ける、刹那に陥らない限りこれも一つの幸せの形なのかもしれません。
ただ、意味というのは、ひとたびそこに目を向けた瞬間に、そこから目が離せなくなってしまう、意味を見出すまで囚われ続けるしかなくなってしまうといったような性質を備えてもいますね。
だから、なんとしてでも意味を見出さなくてはならない、そしてその意味に自身が納得した上でなければ、前に進む事は出来ない、もしくは進みようがない。
その、意味を見出すことを邪魔しているものは、自分が経験した事実のようなものを直視しなくてはいけないのかもしれない、というある種ナルシシズムに抵触するかのようにも思えるもの。
不調を実感した時、少なくない数の人がその不調に意味を求めます、そしてその努力は少し苦痛を伴う場合もありますね。
経験に意味を与え、自身を納得させ、了解した上でなければ前に進めない時もあります、しかし、今すぐに意味を与える事は避けた方がいい場合もある、というのも事実なのだと思います、苦痛は避けた方がいい場合もあるという事ですが、だからシンプルに言えば、元気になるようにバックアップし続ける、話し続ける、といったような。
挫折した時、新たな希望を瞬時に見出し、そこに向かって歩きだしたのちにタイミングを計って意味を見出す、もしくは有意義な意味付けをする為に保留にしたままあきらめずに歩き続ける、これが効果的な場合もあるのだと思います。
意味を振り切って、眼前を楽しみ生を味わう事、諦めずに意味を見出し続ける事、この両極の間でバランスを取りながら、生き続けてゆくのかもしれません。
悩んでない時って、あんまり意味とか考えないですもんね。
そしてもし悩んだ時、見い出そうという意思さえあれば、意味というのはちゃんと見出す事ができるものなのだと思います。

—————

戻る