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愛される条件
2019年01月14日 11:38太っているとか痩せているとか、顔立ちが整っているとかそうではないとか、もっと言えば美人か不美人かとかそんな事と、その人が美しいかそうではないかという事や愛されるか愛されないかという事は、全く関係がない。
数値化されたデータやスペック、最大公約数的な美、そんなものは一切関係なく、完全に主観の産物としてその人を美しいと認識し愛する訳ですね。
内側から見るとか微分拡大とかそんな造語的ニュアンス、相手の内界に入り込めた時に初めて、その人を心底美しいと思える、内界にはいるには、入る為の通路が必要、それは欠けた部分であったりヒビの入った個所であったりアンバランスなその人自体だったりする。
完璧な容姿とか精神とかいうものがもし仮にあったとして、僕は勿論そんなものは人間である以上ないと思っていますが、もしあったと仮定して、完璧であるという事はそれは欠落の欠如、ヒビも一切ないという事、という事は内界に入り込む通路がどこにもない、主観の産物が芽生えようがない。
視覚的アンバランスさや精神的アンバランスさ、それは愛されるための条件でもある、太っているとか痩せているとか、顔立ちが整っているとかそうではないとか、美人か不美人かとか、そんな事は実は全く関係ない。
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