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愛にも通じるような

2016年05月27日 22:24

この間の下校途中の小学生の会話「コンポンテキ・・・」の時にちょっだけ思いました。
「知=快」みたいなのって言うのは、僕も少し経験した事があるというか。
知らなかった事を知る快感とか、理解できなかった事が理解できた瞬間に伴う快感とか・・・・「あぁっ、そうだったのかっ」と腑に落ちた瞬間なども含まれると思うんですけど、こういうのは博識な人の傍で、その人から色々な話を聞きだしたいという思いにも通じるような感覚でもあって。
「知=快=博識者に対する尊敬や執着=その執着とは愛にも通じるような」ーー愛とは執着ですしね、でもそこにはポジティブとネガティブがありますねーーとまあ、こんなイメージで、書物を通してでもいいのでしょうし、直接会って知を授けてもらえれば又は自分のものに出来れば尚いいのでしょうし。
「知の所有者に向ける愛」とも言えるのかな、古代ギリシャとかこんな感じだったような話も聞いた事あるし、人間の基本なのかなと少し思ってみたり。
社会人になってからですかね、自分の置かれている状況によってという事だったのか、必要に迫られてという事だったのか、何か学んでもいいかなといったような気もちにも少しなって。
書物を通じて多少勉強はしつつ「快」はそれなりに実感していたのですが、その「快」をアウトプットする機会にはそう多くは恵まれなかったりもして。
そんな中、30代位の時に僕より30歳近く年上の2人の頑固おやじというか博識者に出会う事が出来て、その方たちは、生意気な小僧でしかなかった僕に対して、議論の相手をしてくれたような、屁理屈まくし立てて突っかかってくるのを笑顔で受け入れてくれたような。
多くの議論で、笑いながら言い負かされながら、より多くの事を学ばせて頂いたように思います。

2人とももう80歳超えちゃっているんでね、相当うっすらしてきちゃってますけど、まだまだ元気でいて頂きたいものです「知=愛」を向ける先として。

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