神奈川県藤沢市城南 東海道線沿線のカウンセリングルーム。辻堂駅より国道一号線方面へ徒歩12分。10:30~21:00、年中無休。


愛の作法

2017年10月13日 08:53

猿の惑星、映画が放映されるそうですね、数十年前初めて見た時にはかなりワクワクしながら見ました、ただ、昔から一つだけ疑問に思っている事がある。
人間は、進化と共になのか、発生当初からなのか知りませんが、体毛が薄い、体毛が薄いからこそ、今の愛の作法に自然と行きついたようにも思える、シルクや真珠を連想させるような滑らかさ、一見して判別が可能な顔立ち、魅力的な表情、風貌、体形。
猿が言語を獲得する、人間と同じように複雑な思考が芽生える、言語が本能を追いやる、愛が認識される、その時、愛と生殖というのはどのように捉えられるのでしょうか。
フロイト的トーテムとタブーのような状況に陥るしかないようにも思え、やはりそこで何らかの秩序が生まれるしかないのかもしれない。
一夫一婦制、そこで語られる愛と言うのは、そこで行為される愛と言うのは、どのような仕方になるのか、それ以前に、愛を向ける条件は、相手のどの要素に魅力を感じるのか、よく分かりません、普通に言えば・・・・・萌え要素はどこに見い出すのか、恋愛対象の何に萌えるのか。
体毛で覆われているから、体形は分かりにくい、顔かたちも判別しづらい、滑らかな肌という事でもない、透けるような白さとか、健康的な小麦色という訳でもない。
・・・・・・知性とか、身体能力とか、より健康であるとか頑丈な体とか、そういう要素に着目して愛を抱いたとして、その愛はどのように行為されるのか。
言語がある、発声器官がある、声がある、声は個体によって違う、猿の惑星の猿と人間の共通点、ああ、そう人間の場合、相手の声に大きな魅力を感じる、というのは間違いなくある、その場合、相手の魅力的な声を経由して相手の身体を認識する訳で、その経由の効果として相手の身体は美しい彩りを纏う、じゃあ、猿の場合は・・・・・・・分かりません、無理そう。
裸体を覆う服や布、ここから得られる想像的世界やチラリズム的世界観というのも、体毛に覆われていれば服は必要ないのでしょうし。
じゃあ、やっぱり最終的に猿の惑星の猿も、より進化するにつれて体毛がどんどん薄くなって肌が滑らかになる、とか言ったら、それじゃあ人間になるという事なのかもしれない、じゃあ、猿の惑星の猿と戦う人間は、自分たちの原型、進化過程の自分達、いづれ自分たちに進化するものと戦うのか。
結局は人間側からの、というか僕のテキトーな想像でしかないので、猿の惑星の猿には彼らなりの考えや作法があるのでしょうし、だから彼らに聞いてみないと分からないのでしょう、という、すみません、すごくどうでもいい事をダラダラと書いてしまいました。


—————

戻る