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愛情には程遠く・・・・・

2016年12月17日 09:14

「条件付きの愛情」というのは、ACの文脈などでも語られますね。

ただ・・・・・それを愛と呼んでいいのか・・・・・・・。
僕は実感として、その、戸惑いと共に語られる経験が、条件付きの愛情という表現にすら到達していない、ただ養育者から執着を差し向けられているだけであるようにしか思えない時が多々あります・・・・・・愛とは執着である、と言ってしまえばそれまでなのですが、しかし、あまりにも変質した執着であるようにも思えてしまって。
「○○すれば愛してあげる」この象徴的な言葉や態度というのは、子供を自分の思うように操作する為・・・・・自身のナルシシズムを満たす為・・・・・・自分の様々な感情を処理する為・・・・・・子供という自分以外の個体を通じて自分が満足を得るため。
もう一つ「○○出来ないお前はダメだ」と、否定し続けるというのもありますね、自身が抱えている劣後感に代表されるネガティブな感情の処理をしているだけとしか思えない事もよくあります、自分が外で溜め込んだストレスをぶつけているだけでしかないような場合も。
・・・・・・条件付きの愛情、仮に、課された条件をクリアしたとして、相手からなんらかの感情を向けられて、それが愛情であると喜びと共に思えるのなら、百歩譲ってそれでもいいのかもしれませんが、僕の知る範囲では、その相手は自身のナルシシズムを満たしているだけ、又は思い通りに操作する事が出来るという万能感に浸っているだけにしか思えないんですよね、頑張って掴んだ結果すら認めようとしない場合もありますし。
本当に条件付きの愛情というものは存在するのか、又はその向けられたものを愛情だと認識していいのか、と思わないでもなくて、実は愛情に見せかけた何らかの感情でしかないんじゃないのかなと、もしくは愛情をもし向けているのだとしても、それは頑張って結果を出した相手に対してではなく、指導した?躾けた?自分自身に対して向けている、相手を抱きしめながら実は自分自身を抱きしめている。
無条件で、自分はここにいていいのだ、と思えなければ安心なんか絶対に得られないですしね。

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