神奈川県藤沢市城南 東海道線沿線のカウンセリングルーム。辻堂駅より国道一号線方面へ徒歩12分。10:30~21:00、年中無休。


感覚を裏付けるもの

2018年06月05日 10:09

自分には持って生まれた才能があると思う中で何かを表現したとして、それは人々に認められなければならない、受け入れられなければならない、そうでないとそれは才能があるという事の証明にはならないから、フェティッシュとして一人で楽しむのであれば、それは話は別ですけれど、そうではなくその才能をもとに世に出ようとした場合。
アカデミックな文脈を排除し続けたままでアウトサイダー的に何かを表現して、要は感覚とかセンスとか言われるもののもとで、それは一度は当たる可能性はあるのかもしれませんが、認められ続ける事が出来るのか、もしできるのならそれは本当の天才なのかもしれません。
持って生まれた才能やセンスや感覚だけを頼りに何かを表現し続ける、それがもし人々から受け入れられなかった時、自信は揺らがざるをえない、不安に苛まれざるをえない。
その不安を払拭し自身と共に世間に提出し続けるには、論理的裏付けが必要、アカデミックな文脈。
本当に才能がある人は自分のセンスや感覚という不確かな揺らぎに甘んじることなく、様々な理論を学び自身を脱構築し続ける姿勢を決して崩さないのでしょう、だからこそ生き残る。

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