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戦う
2018年07月31日 11:04戦うという行為は、相手があるからこそ、その相手から何かを守る為に戦う、相手を敵と見なして。
何かを守る、守るべきものの為に戦う、守るものがある方が人は強くなれる・・・・・・・・・いやどうなのか、ちょっとこのステレオタイプには疑問を抱いてしまうのですが、無理のあるシミュラークルであり勇気を呼び起す為のファンタジー、そしてその勇気は玉砕につながる・・・・・・みたいな見方だってない事もない。
守るべきものの為に戦う時、それは戦わざるをえない状況に自分が追い込まれてしまって、取り敢えず肚を決めた時、そこでは状況や成り行きによって仕方なくという場合も多い、別に戦いを好んでいる訳ではない、普段から鍛錬を欠かさずにいた訳でもない、守るべきものの為に戦わなくてはならなくなった時の事を考えて常に鍛え準備していた、という訳ではない。
戦いを好んでいる人の場合は、常に準備をしている、常に戦いに備えて鍛錬を重ねている、その事自体が楽しいし充実感がある、戦って勝つ事もしくは戦う事自体が好きな人。
そういう人は、自分が戦うにふさわしい相手を見つけた瞬間にもしかしたら、守るべきものを設定するのかもしれない、大義名分。
勝つための手段、アーカイブ、参照可能なデータも豊富、経験も豊富、なによりもその行為そのものが楽しくて仕方がない、守るべきもの、それは自分のプライドである場合もある。
戦う自分、これが自分そのもの、アイデンティティの向こう側に存在する性分であるかのような人、常に準備を欠かさない人。
何気ない日常を過ごしている中で、戦わざるをえない状況に追い込まれ、守るべきものの為に一応肚を決めた人。
自分の為に戦うのか、誰かの為に戦わざるをえないのか。
最近よく文脈がぼやけますが、取り敢えず・・・・・・・・誰の為に戦うのか、多分これは自分の為であると明確に認識しているほうが強い。
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