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指と欲望
2017年02月25日 09:13世の中、効率が追及されてどんどん便利になってくる。
様々なシステムや便利な機械やコンピュータに依存する社会。
便利なものを人間が使おうとする時、それがシステムであれば自分がシステムを支える存在として、そのシステムに参入するのだし、機械であれば自分がスイッチを押すのだろうし、コンピュータであれば入力したりEnterキーを押したり。
入力やEnterキーというのは、コンピュータが勝手にやってくれる訳ではなくて、そこには人間の意思が必要で、だからコンピュータを操作するという事は、自分というものがコンピュータに接続され、そのコンピュータの機能の一部を担っている、入力しEnterキーを押さなければ作動しないのであれば、それはコンピュータ側からしてみると人間より高性能な処理が可能な自分を作動させる役割を人間に担わせている、自分という高性能な機器を作動させる部品の一つになれ、という人間に対しての命令、もしかしたら、一体化しろという命令。
システムもそうですね、多くのシステムはコンピュータに依存しているのでしょうし。
身近な機械もそう、食洗器、全自動洗濯機、ロボット掃除機、自動運転の車、工場の製造ライン、それらのスイッチを押すのは人間。
スイッチを押さなければ作動しないのだから、それらの機械というのは一見、人間が支配しているように見えたとしても、その機械というのは使うと便利だから買った訳で、それは機械に依存しているという事、スイッチを押さないで、その機械を作動させないと、困るのは買った人間の方・・・・・という上下関係、主従関係。
作動させるにはスイッチを押すしかない、スイッチが押された結果として作動するという所までがその機械の存在意義・・・・・その機械にとってみると、人間というのは、人間より上手に完璧に実行できる自分という機械のスイッチを押す機械であり(もしかしたら指と欲望と言う機械であり)、自分という機械の一部、としてしか認識しない。
まあこれ、かなりの倒錯ではあるのですが、そして屁理屈ですが。
便利になるという事は、人間が機械やコンピュータの一部になるという事・・・・・・これが行きつく先は、人間の機械化であったりコンピュータ化、とか、それは、便利な機械が生み出され続け、それを人間が所有し、その機械のスイッチを押す機会が頻度が、人間の日常の中に増えれば増えるほど、人間の機械化やコンピュータ化が進行する。
機械やコンピュータは誤作動しにくい、それに対して誤作動しまくるのが人間。
偏見という誤作動、思い込みという誤作動、妄想という誤作動、言葉と共に生きている以上仕方ないのでしょうが。
もっともっと便利な世の中になって、人間が機械化・コンピュータ化されたのち、人間味というのは、どこに求めるのでしょうか・・・・・・たぶん、愛とかセクシャリティとか、そういう言葉で言い表される部分、なのでしょうか。
便利な機械を開発するという事は、人間自らが進んで機械の一部になるという事であり、人間の機械化、そしてそこには充実感すら存在する。
充実感というよりは、それを通り越して万能感でしょうか、どんな事でも完璧にこなせるという、自分、自らが生み出した機械の一部になる事に、満足を無意識的に感じている自分。
万能感、機械に包み込まれる事による万能感・・・・・・母性に包まれ、父性に見守られ、思いのままに振る舞いつつ万能感を感じる僕ら。
機械やコンピュータ・・・・・・が、取って代わる母性や父性。
機械やコンピュータは、お父さんであり、お母さん。
長々とくだらないことを書いてしまいました、思いつくままにヘラヘラと書いているだけなので、一応、なんちゃって、と言っておいた方がいいのかもしれませんが。
機械と人間の共依存という言説は、僕はあまり納得できないので、その奥には何があるのかな、と、ちょっと思いまして。
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