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接続と切断
2016年12月09日 09:07インターネットには、まるで無尽蔵なのかと思える位、情報というのは沢山あるのですね。
何かを選択しようとした時、その情報というものは便利で有り難いものであるようでいて、なんとなく逆にかなり厄介なようにも思えてしまう時があります。
情報が多すぎて、一つ一つを自分で精査しようがないというか、もしくは、ご丁寧に自分に変わって精査までしてくれている情報の集合体などもありますしね。
これを選択すると、こんなような利点があります、というような事も丁寧に様々な角度から教えてくれます。
完璧に精査されていて、利点も分析されていて・・・・・・そんな中でその提案を受け入れて選択した時「あなたは何故それを選択したのですか?」と聞かれたとしたら、その時はやはり「これを選択すると、こんなような利点がありますよ」と親切に丁寧に教えてくれた情報を、そのまま自分の選択理由として答えるのか、もしそうだとしたら、それは自分が考えた選択理由ではないのでは、とか。
もしかすると、自分で考えて自分で選択しようとする時は、一旦データベースから自分を切断しない事には、なかなか自分で考えるという行為は、難しくもあるのかな、などという事を少し思いました。
接続を保ったままでいると、自分で考える時間を与えられないままに、どんどん先回りして情報を与えられ続けてしまいます。
まあ、考えなくていい便利な世の中にどんどんなっていっているのでしょうが、なにかを選択する時、情報に接続したままであった時って、自分の意思で自分が選択したと思っていても、実は巧妙に誘導され選択させられたのかもしれないですしね。
チラつく自己責任という言葉・・・・・選択した結果、その選択に責任を負うのは自分、という事になる場合も多いのかもしれませんから、やはり情報に常に接続していた方が安心感はある、のだと思いますし、そうですね、それでいいのかもしれません、そしてその事に違和感を感じる人がもしいれば、その人は臨機応変に接続と切断を繰り返せばいいだけなのかもしれないですね。
ーーでもこれはインターネット以前からそうですかね「みんなと同じ」という選択には安心感もあるのでしょうし、みんながいいといっているからというもは大きな選択の理由ーー
そう、情報に埋もれている時、何も選択はしないとしても、ただ埋もれているだけで、なんとなくの安心感のようなものは、得られる事は確かだと思います、もしくは安心感というより万能感のようなもの。
幼少期に、養育者たちの愛に包まれて安堵していた時に感じる事が出来た万能感に近いのかな、そうですね、手取り足取り、懇切丁寧、先回りしてどんどん提案してくれる頼りになるもの、安心して依存できる対象、なんとな~く、そんな感じに思います。
安心して依存している時というのは、信頼を向けている訳ですね、だからその信頼が裏切られた時、それは情報によって不利益を被った時という事ですが、その信頼は大きな怒りに反転する場合もありますね、もしくは無力感に。
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