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攻撃的依存
2017年12月02日 11:24全ての依存が受け入れられない訳ではない。
攻撃的な依存というか、浅はかさを露呈するしかない屁理屈によって相手を追い込もうとしたり、強固な自分独自のフィルターを通じて全ての言葉を被害妄想的に変換しそれを新たな攻撃材料としたり、形勢が危うくなると弱者のフリをして開き直ったり、強固な鎧で自分を守りつつ要求を突き付け続ける、あとは猜疑心の塊のようなとかも、そう、そういう人にとっては全ては人のせいという事でもある。
ああそう、しつこい、とにかく相手の都合はお構いなしで非常にしつこいんじゃないでしょうか、相手の気分を悪くさせる達人、これは誰も受け入れないし、そういう圧倒的他者とは一切関わりたくないと誰もが思うのでしょう、攻撃し追い込み、なんとか依存しようと全力で努力するする、まあ、基本的には完璧なる自信のなさを攻撃性に転嫁させただけでしかない。
このような気分の悪い依存の仕方と正反対の依存の仕方というのもありますね。
なんというか、極端なくらい配慮的であり、儚げで脆く、少しだけ弱々しい、そして責めるのは相手ではなく自分。
今の世の中、依存は別に全然悪い事ではないし、そうせざるをえない状況というのは誰にでも到来する可能性がある、だからこれは、作法、依存の仕方という、依存の作法。
依存の作法に則った依存は、その効能としてそれを向けられた相手の中から勇気や使命感が湧き上がってくる場合すらあるのではないでしょうか。
依存の作法、これはやろうと思ってやれるものでもない、だからこれは元々の性格なのでしょう、そう考えた時、他者配慮的な人には見ている方が積極的に手を貸したくなるという場合すらあるのだと思います。
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