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敢えて逆の主張を
2016年10月09日 09:43採決とか、方向性を決めるとか、集団の中で少なくない数の人が同意する方向性に対して、自分の意見、それも真逆の意見を言えるというのは、かなり勇気がいるというか、なにか堂々としていて立派な事のようにも思えてしまいます。
前向きである限り逆の意見というのは貴重だと思うんですよね、仮にその意見が通らなかったにしてもーーというか、まず採用される事はないと思うのですがーー集団が勢いと共に一方向へ突き進み続ける事の歯止めであったり監査的な役割であったり、そういうものを果たす事が出来るのかもしれないですし、まあ、これは成熟した集団においてという事ですが。
物事がポジティブフィードバックの作用の中で一方向に突き進んだ結果というのは、歴史がさまざまに物語ってもいますしね。
極端に言えば内心は、自分も少なくない数の人と同じように、その方針に賛成しているのだとしても、集団が勢いを伴って突き進み過ぎてしまう事を抑制する事を目的として、敢えて思ってもいない反対意見を主張したっていいのかもしれないです、なんか相当の覚悟が必要にも思えてしまいますけど。
それも、自分が参入しているその集団に対する、愛の形なのかもしれません、破綻してほしくないという想いからの行動なのであれば、という意味で。
成熟した集団の中でしか機能しない事だとは思いますが。
同意するという空気の読み方、集団の為に敢えて反対意見を主張するというメタの視点での空気の読み方、みたいな感じ。
反対意見を許容できない未熟さの中では絶対に無理ですけどね、でもこれは集団においても個人においてもという事なのかもしれないです。
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