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文字なのか会話なのか
2016年10月11日 09:10書かれたものと語りかけられたもの、文字なのか会話なのか。
どちらが効果的に作用するのでしょう。
啓蒙などという突拍子もない事ではなくて、どちらが受け手の気持を楽にするのか、という程度の話でしかないのですが。
テキストや、もしかしたら真剣に書かれている方のブログなんかもそうなのかもしれないですけど、書かれたものというのは、特定の人に届けようという事ではなく、書き手の想いが凝縮されているだけのものでしかない場合もある、のか?
誰かに届けようとして書いている場合は別なのかもしれませんが、ああ、でも大差ないのかな、書くという行為は鏡の効果というか、自分を映し出す的に、どうしてもナルシシズムが前衛化してしまうようにも思っていて、だからそれを常に意識しておかないと、ポエジーに振れた非常にイタい文章になってしまう、紙面、ないしはモニターに向かって入り込んでゆく、パラノイアックに閉じてゆく訳ですから。
語りかけられたものというのは、目の前の特定の人に伝えようとしているのだろうから、語り手の純粋な想いというよりは、どうすれば伝わるかという事の方が重要なのかもしれなくて、だから語り手の純粋な想いがをそのままの形で伝える事が出来るのかというと、そういう訳でもなくて、例えてみれば、正三角形を伝えようとしても、それを相手に伝わるように話す訳だから、結果的に二等辺三角形として伝わるとか、でも三角形には違いない訳だから、大体は伝わる・・・・なんかおかしな例えですけど。
だから自分が分かって欲しいと思っている何らかの純粋な想いがあったとしても、そんなものは押し付けずに、押し付けるという行為は一つ間違えると攻撃にもつながりますからね、ただ相手にとって有効であると思える要素だけを抽出し提出する、その結果として自分の純粋な想いとは形は微妙に違ったとしても、相手にとってそれが効果的なのであれば、それでいい、みたいな。
いや~っ、でもどっちも一緒・・・・文字も会話も一緒なのかもしれません、どちらにしても、そこにお互いの感情移入や大きな共感、そういうものがないと、なにも伝わらない可能性もあるでしょうし。
逆に、それがあれば、少ない数の文字や言葉でも十分に伝わるのかもしれないですね。
そうだ、一人の人に向けて書いた純粋な文字列を、その人の前でゆっくり説明しながら語れば、ちゃんと伝わるのかもしれないですね、まあ、相手がめんどくさいと思わなければ、という前提ですが、共感があれば大丈夫なのかな?
話は変わりますが、僕の書いているまわりくどい文章というのは、既に面識のある方の中のごく一部の方に伝わる可能性のある一節が多少含まれている、という程度の文章でしかなくて、ナルシシズムを排除しようとした時、どうしてもこういった書き方になってしまうのです、文字を配列するというのは難しいですよね、それぞれの文章は葛藤を感じていらっしゃる方の中のごく一部の方を想定して書いているようです、都度想定している葛藤の種類は違うのですが、だから逆に考えれば、どの文字も全くピンとこないという事は大きな葛藤は感じていない、とも言えるのかもしれないです。
相変わらず、ややこしくてすみません、やっぱり一対一で話す方が自然でいいですよね。
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