
神奈川県藤沢市城南 東海道線沿線のカウンセリングルーム。辻堂駅より国道一号線方面へ徒歩12分。10:30~21:00、年中無休。
時が癒す
2017年03月26日 09:18公園の脇を通りかかり、桜の蕾がほころびかけているのを目にした時、ふっと、正月が一段落した1月の中旬の頃の心持ちに引き戻されました。
極寒の中、手袋と帽子と二重のダウンと・・・・・そう、異常に寒がりなもので、完全防備の中、公園の脇を通りかかり桜の木を目にして「・・・・・この桜が咲くころには・・・・」みたいな事を、その時、桜が咲く頃に何がどうなっていて欲しいと思ったのか、よく覚えていませんが。
その時から既に二か月以上が過ぎ去った。
否応なく、時は過ぎ去ってゆく、当たり前の事ですけど、全ては過去になる事は間違いない。
僕らは今しか生きられないというのは本当なのか。
今しか生きられない訳じゃないようにも思いたい、現実的時間も大切だけれど心的時間も同じくらい大切、ノスタルジックに過ぎ去った過去に想いを馳せる事は出来るのだし、ファンタスティックに未来を想い描く事だって出来るのだし、そしてその時、希望に満ちたり、優しくなれたり、暖かさに包まれたり、時には途方に暮れたり。
そういう時間を持つのもいい、流れの中を生きながらも、過去や未来を往来して・・・・・・今だけを生きるという事は、自分の人生から厚みが失われてしまうような不安にも苛まれてしまいます。
まして、時間の流れを引き寄せて、時間の流れの中だけで生きようとするのは常に緊張が絶えないし、やはり疲れる、だから時には流れの外に出て、過去や未来を行ったり来たり、時には解離したまま何処へもゆかずに、ぼーっと時間の流れをただ眺めて。
・・・・・・すいません、なんか収拾付かないですね。
ああ、そうだ、人のいない川べりで、なにも考えずに、ただボーッと川の流れを眺めていると、なにか自分の精神が鎮まってくるように感じる事がありますが、あれって実際に時間の外側で解離している状態だからなんじゃないでしょうか、川の流れを時間の流れに見立て、自分はその流れの外側から流れを、時間の流れを、ただ眺めている、掴みどころのない静かな想いが生成される事もあります。
ちょっと別の話になってしまいますが・・・・・・今、今、今、とずーっと続いて、その、今というのは一瞬の後には必ず過去になって、今までもそれの積み重ねだったのだし、これからもそうに違いなくて、いつの間にか半年一年が積み重なって、なのか、過ぎ去ってなのか、そこには今、今、今の様々な経験が・・・・・・経験を塗り重ねる事によってのみ心的時間が不規則に進む「時が癒す」というのはこういう事なのでしょうが。
なにか衝撃的な経験に晒された時、自分に起きたその現実に当然囚われます、驚愕と共に目が離せなくなりますね・・・・・心的時間も止まります、それを経験してしまった時点で、時が止まります。
少しずつ整理しながら、全く別の優しい経験で、その驚愕の経験を少しずつ塗りつぶして心的時間を進めてゆくといいです。
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