
神奈川県藤沢市城南 東海道線沿線のカウンセリングルーム。辻堂駅より国道一号線方面へ徒歩12分。10:30~21:00、年中無休。
時間の牢獄
2018年02月11日 17:46小学校入学時にはもう藤沢にいたので、だから伊東に住んでいたのは幼稚園まで、あの疑問を口にしたのは伊東で祖父母と父母と僕で住んでいた時の夕食時、全ての人がちゃぶ台を囲んでいた光景は鮮明に記憶している、幼稚園に入りたての頃だったのか、それともそれ以前の、自我の芽生えと共にだったのか、イメージ的には3歳~4歳位の出来事であったように思うのです。
その疑問は、ふと思いついただけの言葉ではなかったような、だから自我が芽生えて、これが自分であると何となく根拠なしに認識するようになって、そんな過程のどこかで疑問が芽生えた、そしてその疑問についていくら自分で想いを巡らせても何の答えも見つからない。
3歳児もしくは4歳児なりの苦慮の末に、かなり勇気を出して、思い切ってその難題について質問したような記憶がある「ねえ、僕は何歳まで生きるの?」と。
祖父が間髪入れずに優しく笑いながら、しかしその笑顔は僕には非常に冷たい笑顔に見えたのですが「100歳」と答え、それを聞いたその場の人達は「ははっ・・・・・」と笑った、そしてそれきりだった、誰も何も言葉を発しなかった。
その時は一切言葉にはならない、なんというか、孤独、今の自分の思考を通じてしか表現できませんが、心に寒風が吹き込んできたような孤独、時間の牢獄に100年間囚われ続けなくてはならない絶望、なにかそんなような事を感じたように思います。
100歳、と言葉を発した祖父自身は70歳でなくなりましたが、まあ、祖父がせっかくそう言ってくれたのだから100歳まで大切に生き続けるつもりでいようかなと思っております、と言ってももう既に半分が経過してしまっている訳ですが。
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