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暖かい気持ちになれる秋
2016年09月26日 09:01スポーツの秋、行楽の秋、食欲の秋、収穫の秋、読書の秋・・・・・何をするにしても爽やかな気候の中で・・・・・というのは間違いではないのでしょうが、ほんとにそんな素朴な言説を鵜呑みにするだけでいいのか。
秋というのはさまざまに形容されますけど、根底にあるのは、夏が過ぎ去って一年の終わりに近づいてきている、肌寒さに直結した人恋しさ、完結としての紅葉からの落葉、実りの秋というのも一つの完結ではありますし完結や達成の後にやってくるのは空虚。
ともすれば取りこぼしてきた感覚、紅葉~山~大自然という抗えないものからの連想として社会の中での自分の小ささを実感せずにはいられない感覚、無理してでもアゲていかないと否認しているものに目を向けてしまいそうな不安。
秋というのは本当は、多くの場合やっぱり孤独で不安、さみしいんじゃないですかね、根底では。
その寂しさに目を向けると、自分についてさまざまに考えを巡らせてしまいそうで、それはちょっと怖くもあり、だから目を向けてしまったらどうしよう、という不安を覆い隠すために、というかもしかしたらその不安は常に湧き上がってきていて、でもそれは否認するべきという流れの中で、強迫的に〇〇の秋を楽しもうという、言ってみればこれは一つの心的な防衛反応というか、簡単に言えば症状でもあるかのような。
でもこれは、なにも秋に限った事じゃないですね、人のやる事なんか、言葉にしても行動にしても、あぁそうだ、強迫の文脈で言えばリア充なんかもその一つなのかもしれないですけど(別に悪い意味じゃないです)、全部症状に還元できるのでしょうしね、それが重めの症状なのか、軽めの症状なのかの違いで・・・・・重めの症状はほんと辛い訳ですが、だから重い軽いはスペクトラムにはなっているのだけれど、人それぞれどこかに境界線はありますね、スイッチが入り環境を断絶する境界線。
ちょっと話がそれましたが、秋というのは、湧き上がりそうになるさみしさや不安を覆い隠して強迫的に活動し続けるのもいいのでしょうし、敢えて不安に目を向けて寄り沿い合うのもいいのでしょうし。
割と多くの人が強迫的な活動を選択している訳ですが、どちらが最終的に暖かくなるかといったら、不安やさみしさに目を向けた方なんじゃないのかなと思います。
ただね、人恋しいからと言っても、寄り添う相手は自分に合う人であったり拒絶される可能性のない人を選ばないと、暖かくなるどころか、逆にとっても寒~くなってしまいますから、秋を通り越していきなり2月の極寒に追いやられてしまいます、気をつけなくてはいけないところではありますね。
・・・・・・・人と同じじゃないからって、なにも心配する事はない、と思います。
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