神奈川県藤沢市城南 東海道線沿線のカウンセリングルーム。辻堂駅より国道一号線方面へ徒歩12分。10:30~21:00、年中無休。
暴力的解体
2018年06月19日 10:45自己分析という本質的に不可能な行為は問題外として、分析、分析、分析というのは、特に特定の人物を分析するという行為は、一種の暴力でもある。
その対象となる人物を解体して、細部を冷静または冷徹に、感情を排し、事細かに観察し何らかの解釈を与える、それは本人不在の中で、本人の与り知らぬところで勝手になされる、という事は何を言われるか分かったもんじゃないという事でもある、ラベリングの嵐が吹き荒れる、陰性爆弾炸裂しまくり、的な。
分析というのはストレッサーや自分の身の回りで起きている事象に対して行うのがいい、それは漠然としていた問題に対して細部を観察解釈する事によって起きている事実の本質を明確にする効果がある、という事は対処しやすくなるという事。
理論に基づかない自己分析は始めに結論ありきでしかないし自分に都合のいい結論にしか行きつかない、例え何らかの理論を用いたとしてもどうしても一般論から離脱できない、万が一自分を暴力的に解体したとしたら、どれだけ凹むか分かったもんじゃないです。
余談ですが、味方だと思っていた人物の裏切り、その時に初めてその人物の本質や今までベールに覆われていた関係性が見えてくることもあるし
人にやってもらう時はやんわりとソフトに、それとなく、自分で気が付いた、という体だけは崩さないようにしてもらいながら。
世の中はガッカリさせられる事で溢れ返っているのですから、それは人間関係も勿論含めて、信頼を向けていた人物が本来的なダセーやつに成り下がる事だってある、そして何らかの対処を施さなければならない場合も確実にある、それは傷ついた自分の想いに対してなのかもしれないし、現在進行中の具体的事象に対してなのかもしれない。
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