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機幸せを実感する機械
2018年10月07日 10:14「はたらく細胞」は細胞擬人化アニメとしての楽しさは勿論あるのですけれど、なにかそういった事以上に赤血球や白血球のキャラクターを見ていると、思わず考えさせられてしまう、ああそう、血小板のキャラクターはやたらと可愛らしい。
組織の中の一つの不可欠な要素として100%の力でそれぞれが活躍し続けるというより作動し続ける、そこに迷いは一切なく、自分の役割に一切の疑問は抱かない在りのまま、今以上の自分でも今以下の自分でもなく全てを受け入れて当たり前の事として。
機械として動く感覚に近い、機械にはその機械が生み出された原因があって、その機械の役割というのは生み出された瞬間から決まっている、その機械を作動させる時にはその本来の目的に沿って、期待を決して裏切らないという形で機能する、その機械を擬人化した時、擬人化されたキャラクターは自分の持てる能力を発揮できて役に立っている事に満足を感じるのか、その機械は幸せなのか。
生身の人の場合はどうなのですかね、何らかの役に立つ機械として自分を流れとしての環境に放り出して、それに目を付けた環境がその機械を作動させる。
その時なにかしらの役に立っている自分に満足を感じる事は出来るのか。
僕らは機械ではない、成長するし感情もあるのだから、などと言う事はないとも言える、感情機械すらありえる、僕らがするのは成長する事ではなく気が付く事、外界からの刺激によって自分の中の潜在性の中のどれかが発現するだけ、だから元々自分が保有している資質のどれかが立ち現れてくる、そういうのが新たな自分の発見とかいう言葉でナルシシズムを刺激する。
自分が環境に放り出す機械とは、潜在性としての自分という、まだ形をなしていない機械である場合も多い、自分総体としての機械。
環境に見い出され機械化された自分が、環境からの期待どうりに作動する時、そこに機械化された自分の満足があるのか・・・・・・・・・・・という極端に偏った、そして何を言いたいのか分からない話でした。
しかし血小板はほんと、やたらとカワイイです。
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