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欠如 空白 無い場所 心

2016年07月19日 09:37

想像的に了解するしかないもの・・・・根拠があるようでいて、根拠がないものを説明するというのは難しいですね、心というのもその一つでしょうか。

言葉を話せるようになってからの自分がしてきた全ての経験が記述されている所、それは思い出そうとすれば容易く思い出せる経験であったり、逆にさまざまな理由から忘れ去られている、そして忘れ去られた事すらも忘れ去られている、要するになかったことにされているような経験であったり。

そこを、言葉が詰まった無意識的な領域であると考えてみた場合。

その無意識的な領域には、自分の事なのにも関わらず、自分の言葉で上手く説明できないような問題も含まれていて。

それは、自分が言葉を話せるようになる前はどういった状態でいたのか、その経験を言い表す言葉の欠如というものであったり。

なぜこの身体に、自分という意識が芽生えたのかという説明の困難性であったり。さらには、自分が生まれてきた意味、使命・宿命とは何かと言う、こじつける事なしには解答困難な自身の根源にかかわるような問いに対する答えであったり。

そういった、自分自身の大切な事なのにも関わらず、明快な回答を引き出す事が困難な、いわばそれを言い表す言葉が欠如した部分、記述が空白になっている部分、説明が抜け落ちている部分。

そこに目を向けた途端、さまざまな感情にとらわれるしかない部分、不安が筆頭ではあるとは思いますが、しかしそればかりではありません、勇気や希望や可能性にも想いを馳せる事が可能な部分。

欠如し、空白なゆえに、いかようにも自分の想いを映し出せる部分。

考えようによっては、この無意識的な領域の中の欠如・空白の部分のみを指して「心」であると考えた方が、生きやすい人生の一時期というのも、あるのだと思います、もし、今は、強くあり続けたいと考えている場合は特に。

これは決して、心というものをないがしろにして、粗末に扱うという事ではなく、自分にとってかけがえのないものであるがゆえに、強く保つ必要がある一時期に一点を見据え続けるために、という意味です。

超越的なものを排除した中では、頼れるのは自分と自分の理解者だけです、その欠如・空白には、自分の強い想いを映し出し続けるのが理想的なのだと思います。

無意識的な領域に記述されている経験に目を向けた時、さまざまな葛藤ややり場のない想いが湧き上がってくることもありますし、自分を強く保つ事も困難になる場合もあります、そして勿論そこに目を向けて解消・修復する事や癒す事もとても大切な事です。
その事を了解した上で、今は頑張り続けたいという想いが強い場合は、勇気や希望や可能性を映し出せる空白の一点を見据えて、ご自分を保つ事が大切だと思います。
人が行動を起こす原因は、欠如や空白に目を向けた時に覚える不安を打ち消すため、という事なのかもしれませんし。

・・・・・ややこしくてすいません、絵に書くとわかりやすいんですけどね。

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