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欲望の際限のなさ

2016年02月03日 09:34

僕らの親世代の、生き生きと元気にハツラツとなさっている方々を見てると思います。
「毎日オロナミンC飲んでるんですか?」・・・・じゃなくって。
やっぱり、あれなのかな、若い時はそれなりに葛藤しながら、思い悩みながら生きてきたのかな、で、どこかのタイミングで、すっと軽くなったように感じて、なにかを振り切る事ができたのだろうか?

経済成長~バブル、物の時代? 一般的には物を所有する事によって満たされる事ができた時代。
バブルは僕らも経験しているから、そう、物の時代という言い方は、あんまり否定できないようにも思います。
所有に主きを置く中で、あまり深い洞察はない中で、生きてきたようにも思います。

そして今、気が付くと物はそれなりに行き渡って、あまり物欲のない自分がここにいます。
「物」にという言葉を言い換えれば、自分の「外」に欲望を向けていた時代から、物が充足して溢れかえっている現状の中で、欲望の矛先は、自分の内に。
自分の内には、何があるのかと考えてみると、実はたいしたものはなかったりもして。
そんな中で、自分を支える為に葛藤したり、思い悩んだり、それでも自分は自分でいいと思う為に、人と関わることで承認を求めたくなったり、もしくは自分の意味について思案したり。

昔も今も、葛藤や思い悩むという行為には変わりがないのかもしれないけど、それが外に向かっていたのか内に向かっているのか、という違いは、やっぱりあるのかもしれません。

そしてこの先、10年20年後には僕らの欲望はどこに向かっているのでしょう。
承認方法は、さまざまな方法が工夫され新たに生み出されてゆくような気もします。

その昔、一つ買ったら、次はこれが欲しい、これを買ったら、今度はあれが欲しい・・・、ものの所有欲には際限がなかったように、今の時代は承認を求める事や自分に意味を見出すことに対して、際限がないのでしょうか。
どちらも欲望の矛先が違うだけで、欲望であるという事にはなんら変わりないし、そして欲望には際限がないし。
そこに目を向けないと上手く生きられませんし、また「自分は何も欲望しない」という欲望を持つ、という欲望のあり方すらありますね。

これからの時代は、今よりもっと生きやすい考え方も工夫されたりもして、欲望の矛先も、また変わってくるのかもしれません。
今の若い人達を見る時、そういった予感や片鱗を感じる事が時々あります。見ていると、ホッとしたい気持ちになる時があります。

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