神奈川県藤沢市城南 東海道線沿線のカウンセリングルーム。辻堂駅より国道一号線方面へ徒歩12分。10:30~21:00、年中無休。
沈静 緊張 自由
2016年07月07日 09:24うちの周りは、夜は戦闘機さえ飛ばなければかなり静かです。
窓を開けて外気を漂わせつつ、電気を消して、聞こえてくるのは遠くからの車の音だけ、明りは月明かり・・・と言いたいところですがうっすらとした道路脇の外套の明り。
何の攻撃性もない静寂な薄明りの中、何の思考も持たず脱力していると、いつの間にか身体を忘れ、漂う精神だけの存在になったかのように感じ、なんだろうこれは・・・・徐々に自分で室内が満たされてゆくというか、精神が室内に拡散してゆくというか、でもそんなに嫌な感覚ではなくて、なにかを洗い流してくれるような、否定的ではないすっきりとした感情に満たされてゆくようにも思え、そう、なんかたまには悪くない感じです。
色や匂いも、明りも音も排除して、それでも意識はぼんやりと覚醒していてーー攻撃性のないーーというのは重要なポイントなのかもしれません。
思うに極端に言えば、精神のリラックスと精神の自由というのは、少し違うもののようにも思えます。
沈静と緊張とでも言うのか・・・・リラックスとストレスというのは同一線上の真逆に位置していて、精神の自由というのは、そことは別の領域に存在しているかのようにも思え。
リラックスしようと思った時、リラックス効果のある色や香りや音を使用することもよくあると思うのですが、効果のあるものを使用するという事は、それは精神への命令、リラックスしろという命令に他ならなくて、効果によって精神はリラックスという極に追い込められる、人工的に、外圧によって、だからそれは漂う自由とは違うのかな、無理やりリラックスしなくてはと思った時、精神にはまだその準備が出来ていないのだとしたら、万が一精神が抗っているのだとしたら、それは精神をリラックスと言う極に無理やり追い込むというか、命令というか、と考えるとそれは精神に対する攻撃にもつながりかねないのか・・・・っていうか、ごめんなさい、いいんですよねリラックスしたいのですから、それでいいんです、すいません、こういう事書きだすと調子に乗ってキリがなくなるので、この辺でやめておきます。
そう、リラックスしたい時はその方法でいいんですね、僕もそうしますし、リラックスは大切な事です、そして精神の自由のようなものを少し感じたいときに、一切の刺激や攻撃性を排除した中で漂えばいいんです。
ーーー芸能人の方が休みの日はただボーッとしているのが好き、みたいな事をおっしゃる時ってこんな意味合いなのかなとも思います。
心的活動の両極にある沈静と緊張、リラックスとストレス、そして心的活動を離れたところでボーッと自由に漂うーーー
リラックスが上手く出来ない時って、もしかしたらこんな意味合いで精神が抵抗している場合もあるのかもしれません、精神が別の領域を求めているのかもしれません、何者にも囚われたくない、命令されたくない、と言ったような。
精神とか心とか、そういう言葉で言い表されるものって、自分のもののようでいて自分の自由にならないというか、自分の言う事を聞かない時ってよくありますしね。
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