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消費される性愛

2017年11月01日 09:47

僕が子供の頃、父が吸っていたタバコ、最初は確かハイライトだったか、その後セブンスターになって、それからマイルドセブンになって、発売された順に吸うたばこを変えていったのかなと思いますが。
いつの頃からなのか、使い捨てライターというネーミングだったか100円ライターという呼称だったか、でもなんか、チルチルミチルと呼んでいたようにも記憶しているのですが、使い捨てライターが発明され売りだされた当初CMがあったんじゃなかったかな。
そのチルチルミチルが売り出される前は多くの人がマッチでタバコに火を付けていた、あと、お金持ちの人は舶来のライターとか持っていた、それは割と、自慢気に。
父のチルチルミチルを蛍光灯の明りに透かして、それは黄色とか赤とかの透明度の高いプラスチック製だったので、なんかきれいだなとか思いながら眺め、中に入っている液体がガスなのだと父から教えられ、ちょっとだけ不思議に思いながら。
夜、父が家に帰ってきてから飽きもせずに、蛍光灯に透かして眺めてました、週に何度もそうしているうちに一か月も経つと、徐々に中のガスというか液体が、目に見えて減ってゆく、それは少し寂しいような、何故か不安を抱いてしまうような、寂しさや儚さや焦燥や絶望、子供心に「なんか人生みたい」とか父に打ち明けた事がありましたが、命の炎、寿命、運命、中のガスがなくなって、燃やし尽くした時点で終わり、とでも思ったのでしょうか。
使い捨てライター、あれが登場したころが僕が初めて消費社会というものを意識した時期、使い捨てではないライターであれば、大切に愛情を持って長く使われる、もしかしたら故障したら修理とかもされるのかもしれない、タバコに火をつけたあとテーブルに投げだされる事はなく、そっと大切に扱われもする、100円ライター、使い捨てライターの扱いというのはそうではない、無造作にテーブルに放り投げられ、ガスがなくなった時点で何の感慨も抱かない中で、ただ、捨てられる。
世の中のとても多くのものが消費される、そして消費し尽くした時点で、味わい尽くした時点で、飽きた時点で、捨てられる、捨てられる為に生み出される。
大量に生産され続けるという事は、どんどん捨ててゆかない事には次の、一見魅力的に見えるものを手に取る事はできないのですから、この場合の捨ててゆくという行為は、興味を新たなものに移すという意味も勿論含めて。
人は飽きますしね、だから消費社会というのはもしかしたら、よく分かりませんが人間の本質を巧妙に突いているのか・・・・・・・そうだ、性愛というのも勿論、消費されますね、愛ではなく、性愛、性愛は消費される、消費し尽くせば投げ捨てられる、多分これは双方によって。
 生涯を通じて一つの対象に執着し欲望を向け続ける、というのはかなり至難の技、たぶん、他にも魅力的な対象はいくらでも存在するのでしょうし。
性愛そのもの、もしくは性愛の対象は消費される、味わい尽くされた時点で興味は失われる、興味が他に移る、しかし、愛は消費される事はない場合もある、愛は経験を共にするにつれてどんどん深まる場合がある、という事は性愛が消費され尽くす以前の段階で愛が深まるのが理想的でしょうか、性愛優性から愛優性への移行、これはそう、キレイに理性的常識的に言ってみた時には。
消費社会でなされる消費と性愛の消費というのは全く別の話ですけれどね、性愛に関してはもっともっと大昔からのというか、原初からのことなのでしょう。

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