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溢れている
2017年05月19日 09:03もし戻ってやり直すことができるのなら、何歳くらいに戻りたいか?
どうなんですかね、やり直したいと思うには、今までの自分の歩みに後悔がなくてはいけないのか、あの時、あっちを選択していたらとか、もっとこうしていたらとか。
学生時代には戻りたくない、そこに戻るという事はたぶん、もっと勉強していれば、学校の成績をアップさせておけば、いい高校いい大学いい会社、という流れになって、頑張って勉強しなくてはいけなくて、ちょっとしんどい。
というか何歳に戻ったとしても、それは今の後悔をもとにして戻るのだから、戻った瞬間から頑張らなくてはいけない、頑張りたいと思って戻るのなら別でしょうが、頑張る事ってやっぱり、しんどいですし。
じゃあ、なんだ、頑張りたくないのか、頑張らない中で年齢だけ戻って、昔の事は記憶にだけは留めつつ、する~っと、またその場面場面に応じた新たな選択を繰り返したいのか、新たな選択を楽しみたいのか、だから年齢と共に狭まってきた可能性を、もう一度押し広げたい、ただ可能性のモラトリアムを漂う心地よさを味わい直したい、ただ潜在性を眼差しながら徴候に浸っていたい、そんなような事なのかもしれないです。
この場合の、自分と自分に起きている出来事の関係というのは、期待と不安の入り混じったドキドキワクワクする関係には違いない。
じゃあ、ドキドキワクワクできる材料が溢れていた時期に戻りたい、というだけの事でしょうか・・・・・・潜在性と可能性だけだった時期、年齢。
だらだらとした、独り言です。
こんなややこしい気難しい話をするまでもなく、気に入っているもの、美味しいもの、楽しいもの、使っているうちに消費しているうちに気が付いたら残りが3分の1しかなくなってしまった、これはチョット寂しいし残念、それがまた使用以前の元の量に戻れば、すごく嬉しい、幸せ、子供の頃のお菓子とかジュースとかお年玉の残量とか、気にいっているものは常に溢れ返らせておきたい、なにかこんな感覚にも、多少は近いのかな、などという事も思います・・・・・・ちょっと違うかな、まあいいです。
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