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無意識機械的自分
2018年05月05日 11:22無意識機械としての自分をゴリゴリと音を立てながら作動させている機関、常に監視を怠らずに部品の組み換えを力づくで執り行っている湧き上がる情動の原因。
原動機なのか機関なのか原因なのか、とか言っても、自分でもよく分からなくなってしまうので理性において翻訳すれば、どうなるのかな、たぶん、自分の思考、自分の無意識や、その無意識から滲み出し続ける意識、そういった一切を取り仕切っている核のようなもの、なんだこれは、ハウルの動く城で言えばカルシファーみたいな、ああ、そうですねハウルの動く城、あれってもしかして無意識機械の概念に近かったりするのか、いや、今は関係ないです。
自分の核、自分を動かしたり監視したりするもの、それがなければ作動の全てが停止するしかない重要部品、アンドロイドの頭をこじ開けて、たった一つの小さなチップを引きちぎったら機能が停止してしまうような、何らかの重要物。
そのカルシファー的な重要物によって作動し続ける自分、そこでは理性云々というより、もっと自分の深みの部分で、だから作動し続けるという行儀のよさではなく、突き動かされ続けているというべきなのかもしれません。
その自分の核であるかのような重要物は、何らかのモル的集合を形作っている、その証拠に大きな刺激が加われば爆発する、それはかなりの確率で、いともたやすく爆発する、その爆発力を利用して自分が作動する、作動した後はまた分子がどこからともなく湧いてくる、その分子達は互いに引き寄せ合い、すぐにモル的集合を形成する・・・・・・・・・みたいな事を繰り返し続けているように思います。
爆発するんですね、そしてその爆発が推進力になる、これは性分なのか、社会で流通している言葉で言い表せば、反発、反骨、怒り、怒りを自分に向けた時それは自制の態度につながる。
ああ、この部分だけが、経験や学習によって、成長なのか成熟なのか変容なのか、これは見えないものなので分かりませんが、経験や学習や年齢によって変わる、普通はそれを成長と名指すのかもしれません。
若い頃、10代の頃、反発、反発自体が快であった時期、その後様々な経験を通じて自分の甘さを思い知り、反発は甘ったれた自分に対する怒りにすり替わる、自分を鍛え自分を律しようとする、その自分で社会に対峙する時反骨が生まれる、自分の目指すべき場所にいる人達に対して尊敬や感謝や謙虚さが生まれる、尊敬、感謝、謙虚がベースにあるという事は、筋を通そうとするという事、そこでは自制が付きもの、多くのものを呑み込まなくてはならない場合だってある、そして自分なりの理念が不可欠。
年齢を重ねる中で自分に付帯した知、それは単なる知という集積であって、決して成長とは関係ない領域の、自分の付帯物、その付帯物をさまざまに利用し管制しているのが、カルシファー的な自分としての核、アンドロイドの重要チップ。
もし人間が成長するのだとしたら、ただ一点その部分だけ、そういった、ある種のヤンキー性にも通じる部分だけを、正統に発展させてゆくのが成長、とか思ったのかのかもしれません。
・・・・・・・そう言えば話は変わりますが、先日テレビの会見でついもらい泣きしました、松岡さんの所作や発する言葉、そして呑み込む強さ、あの正統性は素晴らしいし、多くの見習うべき点が間違いなくあるように思いました。
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