
神奈川県藤沢市城南 東海道線沿線のカウンセリングルーム。辻堂駅より国道一号線方面へ徒歩12分。10:30~21:00、年中無休。
父親と息子 親父という生き物
2017年07月07日 22:30平均寿命からすると男の方が早く死ぬ、となるとどうしても自分の親というのも、父親の方が早くいなくなったりする確率も高いのか、僕の親もそうですけど。
父親、いや父親などという言い方は、どうかな、親父、うちの親父としか認、識していませんが、その親父というのは、なんとなく自分にとって不思議な、得体のしれない存在でもある。
自分が子供の頃は、まあ3歳位までは親父も僕に対して思いっ切り優しく接していた、とか自分では言っていましたが、僕はそんな時期の事は殆ど覚えていないので、だから物心ついたころには、厳しい、威圧的な、自分を規定してくる、抑えつける、目の上のタンコブ的な鬱陶しい、時には恐怖の象徴のような存在でしかなかった。
自分が身体的に成長する中で、中学高校位になると体力的には互角になってくる、だから反発して、威嚇とまでは言わないにしても、ちょっと口出しし辛いような雰囲気を醸し出しながら、徐々に距離を置くようになる。
まあこれは自立の一環としてでもあるのだろうけれど、反抗期に一旦開けた距離を縮める事というのは、なかなか難しい。
大学入学、成人式、社会人、それぞれのイベントごとに距離を縮めるチャンスもない事はないのだけれど、家族みんなでいる時には、それは母親を交えてという事になるのですが、母親を媒介すれば父親ともそれなりには話せる。
しかしいざ父と二人っきりになってしまうと、これは自分だけではなくて、多分お互いに、父の方もそう、なんか恥ずかしいような、バツが悪いような、居心地が悪いような、なんとなく素直になれない・・・・・・そんな中でそれなりの遠慮と気遣いのもと、居心地の悪い、妙に間が空いた会話をぼそぼそと。
社会に出てからも一緒に住んでいれば、もう少しうまく新たな関係性を築けけたのかもしれないですけれど、なんせ盆と正月に会うくらいですから、余計恥ずかしくもあり、べつにお互いに意地を張っている訳でもなんでもないのですけれど、こんな関係をジレンマと共に割と長く続ける。
そうこうしているうちに、いきなりいなくなるんですよね、親父って、不意打ちのように、いきなりいなくなる。
そんな想定外の状況にいきなり出くわすと、これはもう、たぶん、号泣する以外にない、後悔しか残らないし自分を責めるしかない。
僕は実際、親父と何のわだかまりもなく笑い合いながら素直に、大人同士として話せるようになったのは、親父がいきなり死ぬ1年くらい前から。
その頃はなにかホッとしたような感覚で、これからはいろいろ話せるな、とか確かに思っていた、という矢先に、だと心の底からの後悔しか残らない。
そんな後悔の中で、親父の同僚だった人の話なんかを聞いてみたり、親父の兄弟とか学生時代の友人とかの話を聞いて、親父の欠片を感じてみようとか、でもそんなことしたって満足する訳でもなく、本当に自分が一番望んでいた事は、生きている、元気な親父に、自分の方からちゃんと歩み寄って、大人同士というより男同士として、いや親父の息子として、人生の弟子として色々な話を、たぶんそれを親父は望んでいたのだろうし、自分はその事に気付きながら、なかなかそれを素直に実行出来なかったのだと思うし、だから親父を、なんというか、これは、喜ばせてやりたかった、という、ただそれだけの事なのだと思うのですが。
別に年老いて動けなくなった親父を自分が介護してちゃんと見送りたかったとか、そんな事は一切思っていなくて、あの親父はプライド高いからそんな事は絶対に嫌がったのだろうし、だからただ、親父の望んでいたであろうことをして、喜ばせてやりたかったという、それだけ。
親父というのは本当に不思議な生き物で、自分を規定する、指示命令する、処罰断罪する、そんな長い時期を経て、そのうち溝ができて、自分が自立した後もその溝というのはお互いに意地を張る中でなかなか埋まりようがなくて、長い年月の後にやっと埋まったと思ったら、不意打ちのようにいきなりいなくなるという、その経験は自分の中に多くの後悔を残しながら・・・・・・・・なにかこんなような存在であるように、僕の場合は思います。
この、親父に向ける想いというのは、愛なのか、後悔や懺悔なのか、それとも甘えてみたかっただけなのか、まあ、全ては取り返しのつかない事でしかないのですが。
最近親父に似てきたとか言われる事が多くなったように思います、自分でもドキッとする時もありますが、鏡に映った自分の顔が親父の顔にそっくりに思える時がある
ああそうそう、親父がいきなり死ぬ半年くらい前でしょうか「なあ、俺は思うんだけどよ、やっぱりオッパイはでかい方がいいよなあ」とか、いきなり何の脈絡もなく素っ頓狂な事を言っていました、ぼくはコーヒーが気管に入って思いっ切りムセましたが。
母親と娘の関係に比べて、親父と息子の関係というのは微妙なバランスの上に成り立つのか、僕は父と母どちらを求めていたのかと考えてみた時、勿論親父の方だったのだと思います、母について何かをイメージしてみようとしても、まったくピンとこないし。
男の場合はもしかしたら、親父に認められた方が喜びも大きいのでしょうし、自信にもつながるのでしょうし、まあこれは僕だけなのかもしれませんから、個人的な感覚として。
—————