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理想を思い描く事の大切さ
2018年05月25日 09:22小・中・高・大学、学校、教育機関、社会に出る前の子供・青少年と言われる一時期にそこに通い、知識を得たり人格を形成したり様々なかけがえのない経験をしたり、それを指導したり管理したりするのは大人の役目。
教育機関はできるなら、社会の縮図ではない方がいいのかな、と思う事もあります。
社会に出れば綺麗事だけでは済まないし、自分の考える理想通りに全ての事が運ぶかと言うと決してそんな事はない、落としどころであったり妥協点であったり、もっと言えば策略や裏切りやハラスメントというものだって無いとは言い切れないし、会社では社内政治的駆け引き等も。
落としどころとか妥協点、それは何らかの二点が存在するからこその落しどころであり妥協点、その二点というのは理想と現実という二点。
妥協する為にも、落としどころを見出す為にも、現実というもの以外のもう一点としての理想が必要、理想は純粋から生まれる。
学生時代には様々な理想を純粋の中で思い描かせてもらった方がいい、綺麗事だけでは済まされない社会とは一線を画しつつ、これは悲しい事に中々難しい事ではあるのですが。
社会に出れば、どうせ理想通りにはいかない、などという事は誰だって分かっているのだけれど、それでも学生時代に理想を思い描く事はとても大切、それが無いと大人になってから目指すべき方向を見出す事ができなくなってしまうのかもしれない。
現実と理想の間にある着地点、そこに着地するという事は、現実を一歩推し進めるという事、これは理想があってこそ成せるもの、もし理想がなければ現実にただ着地するしかなくて、それはなにも推し進めることはできないという事。
社会というのは見ようによっては、もしかしたら、魑魅魍魎がひしめいている場所なのかもしれません、その縮図を学校という教育に持ち込まない方がいいのかな、と思います、学生のうちから絶望する必要はないのですし。
学校というのも組織であり、存続し続ける事を目指しているシステム、昔に比べて今は、そこからさまざまな問題も表面化してきますね、これ以上青少年を絶望させないほうがいいように思えてしまいます。
絶望してしまっては理想は思い描けない、シニカルになり過ぎるしか道がなくても理想は思い描けない・・・・・・だから、絶望させてもいけないし極端なシニカルに追い込んでもいけない。
社会の縮図は、時として閉鎖性の中で濃縮され続けてしまう。
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