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理解・共感するためのツールとして

2017年01月31日 09:04

考える時・理解する時のベースには、現実的な状況に即したなんらかの理論的なものがあった方がいいようにも思っていまして・・・・これは別に小難しいもので在る必要はなくて、普通に読めて普通に理解する事ができるもの。
特に、人間の精神の在り様や社会で起きている現象を扱う時の、そういった理論の役割の一つとして「人や現象を理解する為」というのがあるのだと思います。
もし理論的なものがなかったとしたら、人それぞれの在り方や考え方や固有性、世の中で起きている現象・・・・それを見聞きした時にただ漠然と「へぇ、そうなんだね~」と思う、それは時には釈然としない想いの中でという事にならざるをえない、場合もあるのかもしれません。
その時に、適用可能な、そして応用可能な理論があれば、固有性や現象を臨機応変に理論に落とし込むことが出来る・・・・・ということは、漠然と受容するだけではなく、腑に落ちる・・・・・結果、共感する事が出来る可能性が非常に高い。
だから理論というのは、共感するためには不可欠のもの・・・・・・それがないと自分の経験に近いものには(時には偏執的に)共感できたとしても、それ以外のものには共感の素振りしかできない。
理論に落とし込んでの共感、その先でのみ、人に寄り添う時の情緒が生きてくるのだと思います・・・・・というか、理論だけで人に寄り添おうとする事も不可能な訳ですが。
理論というのは、人や現象を暴力的に解体・規定する為にではなく、人や現象を理解し共感するためのツールとして有効、そして、もしそれについて相手に説明するのだとしたら、それは相手に安心してもらう為(相手の正当性を証明する目的で、とか)・・・・・・というのは僕の個人的な考えでしかありませんが。

理論などというのも、それは決して不変で固定されたものではなく、社会の流れによっていつのまにか使い勝手が悪くなったものを捨て去り、随時刷新されてゆくべきものなのだと思います。
 

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