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環世界

2016年09月03日 09:22

環世界(環境世界)・・・・・全ての動物は種特有の知覚世界を持っていて・・・・・・みたいな概念。
これって結構、個々の人間が自分の職業でもライフワークでも趣味でも、なんでもいいんですけど、一つの事に目標を定めてとか、一つの事に夢中になって極めて、自分の存在価値をそこに見い出している時とか、自分とはこういうものであると自信を持って言い切れる時、要は何かに同一化している時。
街中を友人同士で歩いていたとして、職業は整体師と板前さんとデザイナー、同じところを同じように歩いているとしても、整体師を職業にしている人は前を歩く人の背骨の湾曲具合が気になるのかもしれないし、板前さんは八百屋に並べられている野菜の鮮度が気になるのかもしれないし、デザイナーはペットショップの水槽の中の色鮮やかな熱帯魚からインスピレーションを得るのかもしれない、板前さんが見ている世界、知覚している世界は、他の二人は知覚していない。
うーん、何の話だこれ、だから同じ環境にいるにも関わらず、各個体によって知覚している世界が全く違う、という事でしょうか、自分の興味を引く物以外には意識がいかない訳ですね。
こういうイメージをいい方向に押し広げてゆけば、誰でも、なにか夢中になるものとか目標があって、一点を見据えている時とか、そうある事が自分の価値くらいに強く思っている中では、自然とその人独自の環世界が形成されて、自分に必要なものだけを自然と認識する、わき目も振らず、外野なんか気にならない。
で、これをもっと希釈してゆけば、自分の理想とする心の在り様でいる限り、そしてそれはたぶん、前向きで明るく優しい心の在り様とかそういう事に普通はなるのだろうけど、そう在ろうと自然に思えてかつ振る舞えていれば、すれ違うストレッサー、纏わり付こうとするストレッサーなんか全く気にならない、というか、自分の環世界にはないものなのだから、完全にスルーだし、もっと言えば認識するつもりもないし、認識不可能。
いやでもなあ、そうなると取りこぼし続けながら生きてゆくようなイメージもなくはない。

なんかぐちゃぐちゃですね、だから、人間にとっては全ての生き物は自然の一部として完璧に機能・循環し合っているように見えるのだけれど、それは人間の勝手な思い込みでしかなくて、個々の生き物にしてみると、自分は全ての種と完璧なバランスで存在している、などという事は思っている訳もなく。
ただ、自分の環境世界(捕食・生存・繁殖・機能停止、その個体の活動範囲内での知覚可能なものだけが、その個体の環世界)で恒常性を保っている。
・・・・人が日々活動している中で思いがけなくストレッサーに出会ってしまった場合「あんなものは自分の暖かく美しい環世界には存在しないもの、知覚する必要もないもの」と強く思って、自分の世界から排除する事は可能なのか、という事でしょうか。
・・・・しかし、いつもすみません、基本的に思いついた事をダラダラ書いているので、言われる事あるんですよね、ちゃんと整理して伝わるように書きなさいって。
でも、人の思考ってこんな感じだと思うんですよ、理路整然としてはいない想いがずらずらと出てきて、まあ、最終的には何らかの結論に一旦は至るんでしょうけどね。
「記述の裏に何か隠してる、ほんとに言いたいことは何?」とか聞かれる事もありますが・・・・・会話中は一切隠喩的な表現はしないですよ、いたって普通に平易な話し言葉で話します。


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