神奈川県藤沢市城南 東海道線沿線のカウンセリングルーム。辻堂駅より国道一号線方面へ徒歩12分。10:30~21:00、年中無休。


環境の否定

2016年11月16日 09:07

・・・・・・・・あんまり意味のない、やたらと長いだけの文章を書いてしまいました。
昔読んだことがあるのですがーーーヒトはそのままで人間なのではなく、より人間らしくある為には与えられた環境を否定する行動が必要、自然との闘いが必要ーーーこれは、少し特殊な人間の解釈ではあると思うのですが。
動物は、それぞれが感覚する環境の中で、それは人間から見れば自然と言われるのもの中で、生まれてきたままの姿で(裸一貫で?)当たり前のように環境に適応しながら生きている、捕食し繁殖し、機能が停止すれば分解されて他の生き物の養分にもなる、土に還るとか言われる場合もありますよね。
だから人間から見れば、人間以外の生き物は、自然と調和して生きているように感じるのでしょうし、人間以外の生き物全体というか・・・・海・山・川・大地、そこに生息する生き物を含めて大自然とか表現するのかもしれない。
人間は自然をそのまま受け入れて、その環境の中でありのままの姿で生きる事が出来るのかというと、それはもう、危なくてしょうがない。
他の生き物みたいに生まれたままの裸でいる事はできないし、そうなると他の生き物の皮膚を加工して身に纏ったり、木や草という自然を略奪して繊維を作り、それを衣類に加工したり。
草地を整えて移動しやすい道を作ったり、自然を開墾して畑を作って食物を育てたり、山から木を伐採して住居を作ったりと。
これらは、物言わぬ自然界に対する一方的な攻撃、環境に戦いを挑んでいるという事である、とも言えるのか、農耕とは人類の自然界に対する攻撃のはじまりであり自然界と人間との決別、とか言われる事もありますし。
人間は言葉を得て、思考を得て、本能を捨てて、欲望に生きる・・・・・そんな中でも、環境を否定するというのは人間の本質、本能に限りなく近いもの・・・・・・・環境が整備されつくして、環境(自然)との闘いが必要でなくなった今でもその衝動は残っている、要は生存の不安におびえなくてよくなった今、それでも、より人間らしくある為に与えられた環境を否定しようとする、おかれた環境に戦いを挑もうとする、そうしないと、環境にただ適応しようとすると人間以外の他の生き物と同列になってしまうから。
よく、人間は環境に適応・順応する生き物、とか言われる訳ですが、それをもう一歩進めて、というか冒頭の言説を敢えて曲解して考えてみると。
自分の所属する共同体、学校や職場、仲間内、様々な環境に適応しようとする中で、無性に何かを主張したくなってしまう事、その場の規律に対して攻撃を仕掛けたくなってしまう事・・・・・・と書くと妙に大袈裟になってしまいますね。
だから、空気に従う事や自分を抑えてでも和を保つ事、そういう事に対してストレスが高まる時、もしかしたら、自分はより人間らしくありたい、ただ環境に適応するだけというのはゴメンだ、という限りなく本能の名残りに近い人間の本質的な衝動が「環境を否定しろ」と要請しているとか。
でも、なかなかそうはいかないですからね、実存が、社会的立場が危うくなってもしまいますから、だからその衝動を常に抑え込んでいるうちに、ストレスがたまる、とか。
より人間らしくある為には、環境を否定するという行動が必要で、でも既に様々なインフラは整ってしまっていて、気持ちよく暮らす基盤は既に整っていて、自然という環境に置かれている訳ではない、でも本能に限りなく近い衝動や本質は今でも人間の中に残っている。
それを表現する場は、自分の置かれている環境しかなくて、だから共同体の中で。
ーー科学の発達に伴って、人間の置かれている環境が、自然界という環境から、共同体という環境に、自分達の置かれている環境がシフトした、どちらも自分を取り巻く環境には違いない、そして環境を否定・攻撃するという人間の本質は残っているーー
人間を取り巻く環境が変わった今、それでもどこかで人間らしさを表現しようと思ったら、それはかつての人々が自然に対して戦いを挑んだように、共同体内で戦いを挑む・・・・・・みたいな話になってくるのでしょうか。
でもね~、そうなると、環境に適応できる人、従順な人は人間らしくなくて、そこに戦いを挑む人、もしくは戦いを挑むと実存が脅かされると考えグッと我慢してストレスを溜め込む人、そういう人の方がより人間らしい、という事にもなってしまうのですけどね。
思いついたままに曲解しながら書き連ねただけなので、ちゃんとした説明にはなっていないと思いますが、なんとなくこんな事を感じました。
理性は環境に順応すべきと主張して、人間の本質は環境を否定しろと主張する・・・・・・とか、あるのかね。
環境の中で、グッと我慢してストレスを溜め込んでいる人は、より人間らしい人、みたいな話に行きつくのですが・・・・・そうだ、より人間らしいとはどういうことか、というのもありますね。


—————

戻る