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生にしがみついている自分

2017年04月20日 21:26

「なぜ生きるのか」などという疑問を、ポエム的言説から距離を置いた中で突き詰めてみるに、あくまでも自分に関してはという事でしかないですが、結局は、死ぬのが怖いから生きる、生にしがみついている。
ただそれだけであるようにも思います、他の人はどうなのか分かりませんが。
万が一、生きる事に終止符が打たれるという事態が、自分が産まれる以前の状態に戻るというだけの事なのだとしたなら、と想像してみると、それはやはり、認めたくはないけれど、怖い。
唯一の真実というのがあるのだとしても、でもそれは生きている誰にも知り得ない事だし、ましてそんな事について考えを巡らすのは人間だけな訳で、それはやはり複雑な思考がありますからね、思考の根本にあるのは間違いなくこういった類の恐怖や不安、そこに信仰を設定して安寧を得るという方法も勿論否定しません、より良く生きるために、その人に必要な事であるのならそれはとても有効な事な訳ですし。
人間以外の生命を観察した時、ただ産まれて、ただ恒常性を保ちながら機能して、最終的に機能が停止する、そしてそこにはその個体特有の感慨というものは存在しないし、それぞれの個体特有の意味というのも存在しない、発生し、機能し、消滅する、もし本当に消滅するだけなのだとしたなら、人間だけが特別という事はないようにも思えますし、それはやはり想像するに、正直に言えば僕は怖いです、だから生にしがみついている。
どうせ生にしがみつく時間を過ごすのであれば、どちらかと言うと恐怖に打ち震えるように怯えながら過ごすのではなく、なんというか、ありきたりな言い方をすれば、有意義にとか、充実のもとでとか、何らかの社会的役割を担いながら、他者と関わりながら、そしてそこに自分が在る事の多少の意味を見い出しながら、薄っすらとでいいから痕跡だけでも残せたら、しかし、いつの日にかはその痕跡さえも忘却されていってしまう事には違いないのでしょうが。
僕らの思考の根本にあるのは間違いなく恐怖や不安、そしてその恐怖や不安を覆い隠してくれるのが、自分が見い出した目標や、自分に設定した目的、自分の生きる意味に通じるもの、それを通じて他者と関わる時の充実感や喜び。
恐怖や不安を充実感や喜びで思いっ切り覆い隠して、生きている間は、そういう感じで生きてゆけたらいい・・・・・・あくまでも僕個人に関しての話ですが。
だからと言って、何かが覚悟できているのかというと、そんな事は全然なくて、ちょっと気を抜くと怖くもなって、そしてそれを自分の意味で慌てて覆い隠し直して、そんなこんなで、まだまだ揺れ動きながら、生にしがみついている訳です。

勿論、様々にある考え方の中のほんの一つでしかないのですが。

「なぜ生きるのか」・・・・・・意味が見い出せない時は、どんどん人に手伝ってもらえばいい、意味を見出すには自分を受け入れたり肯定したり、そういう事も必要になってくるのですから、それは一人ではなかなか難しいことだし、どんどん手伝ってもらえばいい、そしてその先で今より少し強くなればいいのだと思います、そうなれば今より生きやすくもなりますしね。




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