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生暖かく抱きしめ続ける

2021年12月27日 12:32

新規入社者に対するOJTも勿論含めてと言う事ですが、相手のゆるいペースに合わせてしか業務を進められないというのはストレスでしかない訳ですね、常に自分に余裕がないと、そして理性的でないと成せない事、特に多忙な中でとか大きな成果を求めている時には自分にもあまり余裕はないですから、もう、苛立ちとため息の連続。

こういう時、教わる方や、無能な自分に歩調を合わせられる方というのは、どのような心理状態なのでしょうか、申し訳ないと思う人もいるし当然の権利だと思う人もいる、または・・・・・・・・そんな事を思う余裕がない人。

マニュアル化、手取り足取り、システム、これらを経験して、そこで待ち受けているのは何なのか、いつかどこかで、一周回って「見て覚えろっ!」的な頑強な父性が、洗練ののち、形を変えて前景化してくるように思えてなりません。

出来ないのが当たり前・給料をもらうのだから出来て当たり前、無償・有償、素人・プロ、依存・自律、甘え・責任・・・・・・・・歩調を合わせなくてはいけない面倒くささ・・・・・・・自分が快適に感じるペースで歩けない、鈍い相手のペースに合わせなくてはいけない歩行というのは、じりじりイライラして、同じ距離でも非常に疲れます。

歩調を合わせられたほうは、最初は感謝もするし謙虚でもある、徐々に慣れてくると調子に乗りだすし増長するし、場合によっては生意気にも自分と相手が同等と勘違いする、思い知らせて必死にさせる事も、たまにはいい、そこにあるのが愛情でなくていいと思います、同党ではないものなどは、眼中にないというのが当たり前の事実ですから。

切断して尚、食らいついてくる時、初めて面倒見てやろうと心から思えるし、そういうやつだけが可愛がられるのは当たり前ですね。

立場が近くて無能なやつ、これは仕事の文脈を共有できない時点で容赦なく見限ればいい、歩調を合わせる必要などないし気を使う必要もない、そこでそいつなりに考えて頑張るのであれば仲間として認めてもいいのかもしれません。

出来る方が犠牲になる必要は全く無い、仲良しごっこではないのですから、出来ないやつはそれなりの程度の仕事を与えてもらえばいいのでしょう、場違いというのは本人にとってもよくないし、かわいそう。

出来るように努力して当たり前、社会で経済活動をしているのですからね。

忍耐のもとで生暖かく抱きしめ続ける偽善的母性、本物の母性とはどのようなものか、そして進化した父性とは?


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