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男の拠り所

2017年05月27日 08:35

男というのは、どうなのか、そう色々、人それぞれの個性によってなのかもしれないけれど、やっぱり女性なのでしょうか、女性におだてられ、褒められ、優しくされ、そんな中でその女性の存在が自分の居場所になって、その居場所というのは、なるべくならホッとできる場所で、その場所を大切に思う中で力が湧き上がってもきて、自分の力でその場所を引っ張ってゆく、その女性という場所を引っ張ってゆく、とまあ、こんなふうにありたいのか、こんなふうにできるのが理想なのか、もしくは実際に間違いなくそう在る人もいるのかもしれないですが、これが確信出来ているというのも幸せな事。
この構造がある一方、未だにこれは機能しているのかどうか、僕は最近はあまりそういう人はお見かけしませんが、上記の状態というのが関係性の中に喜びを見出すのに対して、なんでしょうか、これは、スペックとか所有とか、なにかそういった男同士で競い合い認め合う中に喜びを見出すというのは、そしてそのスペックを競い合っている自分達の場、共同体、それは、ベースはやっぱり愛なのかな、その愛は身体的接触を排した形での愛、プラトン的な愛・・・・・・・いや、そうじゃないです、相手の精神を欲望している訳ではない、プラトニックとは別の文脈。
男性の集合体の中で、これは一般的に言うところの性的接触を排した中で「おれもこんな感じたけどさ、お前もなかなかやるね、すごいよ、認めるよ」「いやいやまだまだ、お前の〇〇なところ、じつは秘かに尊敬してるんだよね」単純に言えばこんな感じの、お互いを認め合い、競い合い、敬意を表し合い、時にはWINWINの、利用し合い向上し合う関係、そこに参入するにはそれなりのスペック的ハードルも存在しているかのような、男性のみの濃密な、精神性が循環する共同体、上記が女性のいる場所が拠り所になるのに対して、これはこの共同体に参入している自分、というもの自体が自分の拠り所となる。
決して共同体内の自分以外の男性達が自分の拠り所になる訳ではない、あくまでもその共同体に参入している自分というもの自体が、自分の拠り所になる、だから参入し続ける為には、スペックを向上させ続けなくてはいけないし、さまざまなものも所有し続けなくてもいけない。
自己愛の満たされる場所、何によって自己愛が満たされるのか、という違いでもあるのかもしれませんが、時代と共にスペックを競い合う喜びという事より、関係性の中に喜びを見出す事の方が多くなってきているのでしょうけれど。
このどちらかが完璧に機能している人が実際に存在するのかというと、もしかしたらいらっしゃるのかもしれないですし、もしかしたら、どちらも理想像、目指すべきねつ造されたシミュラークルなのかもしれない、ドラマや映画では割とよく目にしますしね。
そういえば、全く関係ないですけど「うちのワイフが」という言い方をされる文学的な年配の男性って今でもたまにいらっしゃいますね、その方の奥様というのはやっぱり、どうなのこれ、ハズバンド? じゃあ・・・・・「うちのハズが」とかおっしゃるのでしょうか・・・・・僕は聞いた事ないですけど。
これまた関係ないですけど、思うに、一般的に、多分一番つらいのは、女性から「アンタ男でしょうがっ!!」ってオラオラされて尻たたかれて、男の極においこまれてヒーヒー言わされちゃう事、ですよね。


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