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異質 同質

2014年12月31日 08:55

来年の、というか、今後の理想、もしくは目指すものとして。
生きていくとは、知らず知らずのうちに、多くのものを背負って歩いていくようなもんだ。
なんて事を、年長者から言われたことがありますが・・・。
長年生きてきたにも関わらず、背負っているものが見当たらない。
たぶん、なにか新たなものを背負うたびに、それ以前に背負っていたものを、捨ててきたんではないでしょうか。
しかし、腑に落ちないのは、背負っているものが見当たらないと認識しているのは、どういう事でしょう?
何かを背負う代わりに、何かを捨て続けるのならば、今、何か一つは背負っていなければ、いけないと思うんですが。
これは、思うに、何かを背負っているように感じるという事は、自分の本質と背負っているものの間に隔たりがあるからなんじゃないでしょうか。
自分の本質が、社会に適応する為に、本質とは違った、異質のものを背負っている、という事でしょうか。
逆に自分の本質にピッタリ合ったものを、背負った場合、本質と背負っているものが、同質なのであれば、それはもはや背負っている事にはならず、または、背負っていると意識することもなく。
ただただ、身軽さと、充実感の中で、自分の目指す唯一の場所に向かって歩き続ける。
こんなふうな感じになるのかなと、思います。
こうやって生きていけたら、これはもう、〇〇する主体。
これに近づきつつある、という事で、いいんじゃないかと思います。
こんなような人に、なりたいものです。
しかし、なんの考えもなしに、背負ってる、と書いていましたが、何かを背負うってどういうことなんですかね?

社会的責任や家族、そういったものとは別のなにか、という事なのは確かなのですが。
・・・人それぞれですかね。

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