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目が覚める

2021年05月15日 13:53

何も追い求めないで生きる事は楽なのかもしれない、理想とか、目標とか、自分の生きる意味、自分に意味付けする事を永遠に保留にしたまま生きる、それは自分が終わるまで、そうやって漂い続けながら生きるのは、楽なのかもしれない、けど、時には焦燥にかられたり、自分の奥底から湧き上がってきてしまう何らかの面倒な衝動を、否認するという工夫を常に怠らずに。

ただ通常は否認の効果として何らかの症状がもたらされる訳で、それは多くの場合ヒステリー的な。

そのヒステリーを抑え込み続ける事は出来るのかと考えると、それは非常に無理がある。

何も追い求めないで生きている自分、という演出は可能、ただその場合は他者に認識されなくてはいけない、何も追い求めないで生きている、ある種浮世離れした自分、という自分の在り方を認識され、承認され、憧れられなくてはいけない、そうしない事には自分を保ちようなないのでしょうし。

何も追い求めない中で楽に生きる一時期というのは、あってもいいし、もっと言えば未だかつて何かを追い求めたという経験が皆無だっていい。

未だかつて何かを追い求めた事はない、というのはまだ準備が出来ていないだけであって、いつか準備が出来た時には必ず何かを追い求め始める、その時に自分が目を覚ます。

学校を卒業したからって自動的に目が覚める訳ではないし、いつ目覚めるかは人それぞれ違うのだし、40才で目が覚める人もいれば60才で目が覚める人だっている。

誰だって、一生涯やり過ごし続ける事などは出来ないのでしょうから。




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