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破壊衝動

2014年12月30日 09:03

10年くらい前に買って、何度も読もうとして、そのたびに挫折して、またいつかと思って、本棚にしまいっぱなしにしていた本を、先日遂に読むことを諦めブックオフに持って行きました。
19世紀に書かれたロートレアモン伯爵のマルドロールの歌。
いつも、本棚にある事が、気になっていて、5~6回でしょうか、意を決して、読みだすんですけど。
どうしても自分には合わなくて、というか耐えられなくて、途中で本を閉じてしまうんですね。
退屈な本や、ナンセンスな本であれば、べつに飛ばし読みしたって、最後まで読むことはできると思うんです。
でも、どうしてもこの本だけは、いけません。
なんというか、破壊衝動というか、陰性の感情に、あまりにも溢れていて、ほんとにもう、病みきっているといったような。
人によっては、こういった文章を読むことによって、何らかのカタルシスティックなものを感じて、自分の中にある破壊衝動のようなのもを、沈静化する事が出来るのかもしれませんが、僕には、もうどうにも合わなかったようです。
破壊衝動って、誰にでもありますよね。
意識している、していないにかかわらず。
普通は、それを理性で抑えているんでしょうけど。
その、人が持っている破壊衝動の部分に、じわじわと侵入してくるといった感覚でしょうか。
でもこの本は、世界的にも、けっこう読まれているようですし。
だから、破壊衝動に侵入してこられる事を、心地よく感じるタイプの人と、その事を拒絶するタイプの人が、いるんでしょうね。
そして、僕の場合は、どうしようもなく嫌な感じがして、拒絶してしまったと。
以前に汲み取り便所に落ちた話を書きましたが、マルドロールの歌を読んでいると、なんかじめじめした感覚になってきて、落ちた時の一瞬の感情が、なんか蘇ってくるように感じて。
だから、この本を読むという行為は、僕の外傷体験だったかもしれないものを、刺激するのかもしれません。
そう考えれば、途中で本を閉じてしまうのも、納得がいくんですね。
なんか、最後まで読み切ったら、外傷体験だったかもしれないものを、こと細かに細部まで思い出してしまいそうで。

なんていうか、人それぞれなんでしょうけど。
僕の場合は、破壊衝動を刺激するような言語を、自分の精神の中にいれるのは、あんまり好ましくないみたいです。
いや、破壊衝動は誰でも持っているんだから、それを活性化するような言語という事でしょうね。
これは、僕の理性が弱いのか、本当は破壊衝動が強くて、普段は何とかそれを理性で抑えているのか、判りませんが。
そういえば、若い頃はホラーやスプラッターも平気で見てましたが、今は全然見る気がしないような。
もしくは、そういうところに意識がいかないといったような感じでしょうか。

僕と同じようなタイプの方もいらっしゃるんでしょうけど。
逆に、この本を読むことによって、何となく本の内容を追体験するような感じで最後まで読み切り、自分の中の破壊衝動を満足させる事が出来る方。
という方も、いらっしゃるんじゃないかと思います。
多分、僕はもう二度とこの本は手に取らないと思います。
今のところ・・・。

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