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確執

2014年12月09日 09:50

思春期の子供と、その親とのケンカで「うっせ~な、俺が生んでくれって頼んだわけじゃねえだろ~が」「こっちだってあんたを産もうと思った訳じゃないよ、なんか知らないけど、生まれたらあんたになってたんだから」こんな感じの、笑えないような、嘘とも本当とも判断しかねる話を聞いた事がありますが。
宗教的な事を抜きにして考えれば、これって結構真理をついているんじゃないだろうかと思います。
子供は親を選べないと言いますが、同じように親も子供を選べないと。(これは考える必要もない事なのかもしれませんが)
お互いに選び合えないが故に、長い時間をかけて、信頼が築かれることもあれば、確執が生まれる事もあるという。
でも、これはどんな人間関係でもそうなんでしょうけど、親子はどんな人間関係より、長い期間、濃密な関係でいる訳で。
関係というか、一体と言った方がいいのかもしれませんね。
確執って結構ありますよね、僕もありました。
ゴールデンゲージやマゾヒスティックコントロールみたいな言葉もあるように。
大人になって、自立して、社会人として自分で経済活動に参加するようになって。
自分の意思で色々な事に挑戦したり、挫折したり。
それ以前の大人になっていく段階でも社会性を持つようになってから、特に、挫折したり、劣等感を味わうような状況に陥った時、まあ最初は自分の力のなさを責めるんですけど、何度もそれが続いたりすると、どうしても「だから親の育て方が・・・、あの時だってこんな事されたし、ほらあの時だって確か・・・、僕はすごく傷ついたんだ」みたいな事に陥って、だんだんと親を責める思考が、出来上がってきたりする事も、時にはあって。
でも、実際に親が自分に向けていた感情を冷静に考えると、結構理不尽と思えるような事もあって、少し親に対して嫌悪感を抱いた時期もあったんですけど。
でも、なんかこう言うのって、親が年を取ってきて、親の方が子供に頼るようになって、でもそうなると、最初のうちは、頼られても、戸惑いや違和感があって。
なかなか素直に対応できづらいような、少し恨みがましいような気持ちもあって。
でも、どこかのタイミングで受け入れない訳にはいかない事は判っていて。
特に親の時間が限られているような場合には。
そんな時、僕は結構葛藤はありましたが、こう考えました。
この人達がいなければ自分と言う、意識というか自我と言うか主体と言うか、とにかくそういったものは発生しなかったわけで、仮に自分の性格形成にあたって、あまりいい影響を与えなかったことが、少なからずあったとしても、自分の出生の源である訳なので、この人達を否定するという事は、自分を否定するという事だと。
だからまず第一段階として、この人達を好きになろうとするのではなく、自分は自分と認める事(自己愛)と同じように、この人達はこの人達でいい、と認める事から始めてみようと考えました。
そうすると、不思議なもので、認めた事によって、自然と話せるというか、何でも素直に受け入れられるように、少しずつなってきて「ああ、この人はこう言う考え方をする人だったんだ」とか「本当はこんなふうに生きてみたいと思ってたんだ」みたいな事を、なんというか、一人の大人と一人の大人の交流としてのように、素直に尊敬したり、受け入れたりできるようになってきて、気が付くと、結構好きな自分より年上の人っていう感じになっていて。
あるときふっと思いました「あれ、この人そういえば、自分の親だった」と。
僕は、割と普通の家庭で育ったような気がしているんですけど、高度成長期の中での中流と言われる家庭って、結構厄介だったりしたんですよね。
僕の父が残した一番印象に残っている言葉は「なあ、伸一郎。俺は割と太めの女の人が好きなんだよ、だって太ってる方がオッパイ大きいじゃん」これが僕の父が70歳の時に、息子に対してニヤニヤしながら言い放った一言です。

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