神奈川県藤沢市城南 東海道線沿線のカウンセリングルーム。辻堂駅より国道一号線方面へ徒歩12分。10:30~21:00、年中無休。


神秘的な心 現実的な無意識

2018年03月16日 10:03

人間を語る上で、心なのか無意識なのか・・・・・・・臨機応変でいいのかもしれませんが。
朝8時に目覚まし時計をセットし、就寝前に携帯の電源を切り眠りにつく。
7時20分に何故かバチッと目を覚まし、その瞬間に無意識的に携帯の電源を入れ新着メールを確認する・・・・・・・新着メール問い合わせ・・・・・・ガラケーならではのじらされる待ち時間・・・・・・1件中1件受信・・・・・・メールを開く。
携帯の電源を入れるまでは無意識、何も知らないという中で、何かに急かされる焦燥の中で電源を入れた訳ですが、新着メールを問い合わせている時点では既に確信している、1件の受信があって、そのメールの送り主が誰なのか、そしてどういった内容のメールなのか、まだメールが来ているかどうか知らない中で、無根拠な中で、問い合わせている時点で数秒後の自分のヴィジョンが明確に脳裏に浮かんでいる、その人からのメールを読み即座に応えるべくスケジュールを確認し返信している自分というヴィジョン。
メールを待っていた訳ではない、なんの約束もしていない中で、自分は何を徴候し、それを確信に変えて行動したのか。
使い古された昔の言葉で言い表せば、虫の知らせ的な事でしかないのでしょう、しかしこの虫の知らせというのはオカルトでもスピリチュアルでもなんでもない。
僕はチームに所属、というか、チームを組ませてもらっています、それはカウンセリングの文脈を時には超えて、その人の目標を叶える為の、その人と僕のチーム、二人でその人の目標に向かって邁進するチーム、僕はマネジメント的な部分やその人を支える事が主な役割。
その役割を果たすためにはその人の全てを、傲慢を承知で言い切ってしまえば、その人以上に知っていなくてはならない、それは意識とか理性とか理論とか、そういったレベルで知っているという意味ではなく、無意識レベルで知らなくてはならない、だから僕の意識の部分ではなく、僕の意識の知らない所で僕は、その人を知っていなくてはならない。
その人の無意識に常に接続されている自分の無意識、という事は、その人が即対応のメールを送った事を僕は、僕の意識の知らない所で既に知っているという事、無意識はその人の様子を既に知っていたという事。
無意識は言語活動として構造化されていると言った人がいる、頑なに唯物輪を唱え続けた人もいる、無意識を科学しようとする試み、無意識はどこにあるのか、それは自分の中とも自分の外とも判断がつかないようなかたちで存在している。
もし自分の外に無意識を見出すことが出来るのだとしたら、転移関係にある両者は自分達の知らない領域で相手の事を知っていて当たり前でもある。
神秘主義に陥る事を避けたい場合は「心」ではなく、多少なりとも科学に近い「無意識」を設定した方がいいようにも思え。
上記のメールのくだりでも「なんか不思議だね、通じ合ってるのかね、テレパシー的な・・・・・・・」という浮ついた言動に陥らない為にも。
何故陥らない事が大切なのか、現実を見失わない為、舞い上がった状態の中で膨れ上がり続ける妄想を無根拠な期待に変換してファンタジーを漂わない為・・・・・・・・そうなってしまうと目標達成は不可能になってしまいますしね。
そういえば何年前の大晦日でしょうか、明け方不意に目を覚まし、これまた無意識に携帯の電源を入れメールを確認し、慌ててすっ飛んで出かけたという事もありました。
・・・・・・・・使い分ければいいんじゃないでしょうか、暗示をかけて強い自分を構築する途上では心という概念も無効ではないように思います。
その瞬間に意識していない過去の経験の全ては無意識の中に渦巻く言語として存在する、その無意識のスクリーンに滲み出してくる言葉を見ているのが、僕らの単なる意識なのかもしれないし。



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