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神経症的に生きる

2022年05月13日 18:09

シニカルに言い捨ててしまえば、そもそも僕らは全体社会システムを構成する単なる一つの歯車に過ぎないのだから、その歯車でしかないものに大して価値など無いのかもしれませんし、価値を見出そうと躍起になる事自体が間違っているのか、どうなのか・・・・・とか思わないでもないのです。

この文脈を両の掌でそっと包み込んで、個人としての幸せそれは生きる意味とか、肯定感とか存在価値や意義とか、事実抑圧の効果として神経症的に生きてゆくというのもいいのかもしれない。

万が一、これを否定する場合、何を拠り所にするのか、自分を裏打ちする概念は何なのか、と考えた場合にのみ、自分が今まさに引っかかっているリゾームの何処かで、座標軸すら存在しない寄る辺なさに耐えながら、社会に対する自分という提出物が、有効なのか無効なのか、それとも有害ですらあるのか、まあ、どの形態も社会システムを機能させはするのですが・・・・・・・・・。

出来るなら有効であって欲しいと願いますが、ただそれは、誰にとっての有効なのかというのが大きな問題になってしまいます、その組織において有効である事と、もっと大きな社会にとって有効である事、これは相反する場合もありますし。

まあ、自分の信念に対して有効である、という事で納得するしかないのでしょう、そうなると今度はその、自分の信念というものが適正なものでなくてはいけない、とかなってしまうとやはり、自分を磨き続ける努力、自己研鑽の有効性について考えるしかない。



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