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禁欲的な 控えめな
2016年05月16日 21:10アドバイスという名の利己的な想いで相手を拘束しない。
期待という名の足枷を相手に嵌めない。
「あなたのため」という名の枠(命令)で相手を規定しない。
「自分の経験では」という名の自己流解決方法を相手に押し付けない。
親密になればなるほど、自然と相手と精神的に循環してきて「あなたの為を思って」という言葉に変換されながらなされるもの・・・・・。
もしかするとその時、相手は少しだけ窮屈さを味わっている場合もあるかもしれませんね。
関係が深まれば深まるほど、これはおせっかいではない人でもーーもちろん良心に基づいてなされる訳ですがーー結果的に、自分の想いを相手に押し付けてしまっているというのは、ない事もないのかもしれません。
自分の想いを相手に押し付けない、自分の望みや欲望や期待を相手に押し付けない・・・・要は禁欲的な態度という事になるのですが。
そして、求められた時にだけ控えめな提言をする、少しの羞恥心と共に。
相手に欲望を向けない禁欲的な態度でいる事は、いつも同じ態度でいる事にも通じますし(自分の期待通りに動いてもらいたいという考えは芽生えようがないのですから)、そうする事によって相手はのびのびと自由に自己表現できるのでしょうね、特に自分より年下の相手の場合は。
・・・・・欲望で相手を拘束する事なく、ただ共に過ごせる時間にだけ喜びを見出す。
人と一緒にいてどこに喜びを感じるのか、それは決して相手の上に立つ事でも相手から偽りの尊敬を向けられる事でもなく、規定される事のない自然なその人の在りようを感じさせてもらう時、のような気がします。
言い換えれば、自然なその人に接したい、というところに欲望を向ける、という事ですね。
周りに自然と人が集まってくるような人物を見ていると、こういう特徴が少し垣間見えるように思います。
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