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科学が生み出し続けるもの

2016年02月04日 09:31

映画オデッセイの予告に僕が勝手に連想する事、そして思う事。
その昔、まだ科学が今ほど発達していなかった頃。
人は天を見上げて、神を想ったのでしょうか。
気球で上空に舞えるようになった頃、神に近づけたようにも感じて、雲の隙間に神の存在を探したのでしょうか。
その時代を起点にして、科学の進歩と共に証かされてゆく事実のもとで、何者にも守られていない生身の人間である、という不安も募り続けてきたのかもしれませんね。

・・・・火星に取り残された我々人類の中の一人に想いを寄せる為に、天を見上げる。
天を見上げ、そこに希望や勇気や祈りを見出そうとする身振りについては、科学以前の時代も今もそう変わりはないのかもしれません、想いを向ける対象が入れ替わっただけ。
その希望や勇気や祈りの対象が、より具体的で現実的なものに変わったという事でしょうか。

科学の進歩がゆえに明らかになる事で募る不安、そしてその科学が生み出した不安を打ち消すために、進歩した科学を利用して、その科学自らの中で新たな現実的な希望を創造し続けながら、不安を打ち消す努力をする。
こういった、たくましい世の中になっていくのかな、などという事を思いました。

成長と共に自らが思考する事によって生み出した不安を、成長した自らの意識の中で、自らの意識を利用して、なにか別の新たな希望のようなものに置き換えてゆく・・・・、と関連付けると、なにか人間の個人の心的活動にも近いようにも思えてきます。

・・・・何を言いたいのかよく分からない、思いついたままに書き連ねた脈絡のない文章ですが、こういう考えてもしょうがないような屁理屈は、時々どうしても書きたい衝動に駆られてしまいます。
意味わからないですよね、すいません。

進歩した科学がなにかを解明し続けて、新たな価値感が周知されて、そこに新たな不安をもたらして、それを解消するものを科学を駆使して創造して、科学は科学の中で自己創出し続けるなかなと。
それは楽しみな事だと思います。

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