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空虚さの否定

2022年01月16日 18:59

社会に出て、一生懸命働く・・・・というより経済活動を通じて自分を試した結果としてお金を得る、と言った方がいいと思います。

頑張って自分を試し続けて、ある程度お金の流れが出来て衣食住がなんとか、自分の力で確保出来るようになる。

そこで次のステージを目指す場合と、そうではなく現状を維持しようとする場合があって、それは次のステージというのはしんどくもあるしリスクもあるから、言い換えれば分相応というつまらない言い分ではあるのですけれど。

社会で自分を試す、頑張る、ある程度の成功や満足を得る事に成功する、満足を得るという事は目標が喪失するという事、満足を得る為に当初設定していた目標が達成される、そこで目指すべき方向が喪失する、そこで間違いなく誰もが気が付くのが、自分の空虚さ。

人は誰もが空虚、その空虚さを覆い隠す為に何らかの目標、言い換えれば欲望を持つ。

目的が達成された時、欲望が喪失する、欲望が喪失した時そこであらわになるのは、もともと自分が抱えていた空虚さ。

その空虚をまた何かで覆い隠さなくてはいけない、人によってはそこに伝統的文化や様々な芸術を持ち込む、絵画であったりオペラであったりクラシックコンサートであったり。

その昔の芸術家に対するパトロン、どのような階層の方々が芸術というものを楽しんでいたか考えれば、そういう事なのでしょう。

美術館で後ろ手を組み難解な絵画に感嘆する上等な生地で作られた仕立てのよい衣服を纏った人達、大晦日の第九にしみじみと穏やかな安らぎと共に耳を傾けるメタ・インテリ。

社会の成熟と共に、これからも、もっともっと、伝統的芸術の重要性は増してゆくのだと思います。




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